あなたが惹かれた、ヴァイオリンのあの響き――毫釐千里

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 各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています

深い藍色の闇の中心に金色の光が一点あり、そこから響きのように同心円が広がる画像

好きで、始めたはずでした

 その音色と響きの美しさに惹かれて、ヴァイオリンを始めた。

 その美しさに惹かれ続けて、今も弾き、今も学んでいる。

 多くの方が、そうではないでしょうか。

 

 なかには、音楽大学に進学された方もいるでしょう。

 プロ演奏となった方も、

 指導者ヴァイオリン先生)となった方も、いらっしゃると思います

 

 ここで今一度、ご自身の奏でるヴァイオリンの音に、

 耳を傾けてみてください。

 

 あなたが今、奏でているその音は、

 あなたが惹かれた、あの響きの美しさですか。

 あなたが心を奪われた、あの音色の美しさですか。

 

 必ずしも、そうではないのではないでしょうか。

 

 どこかに「まあ、こんなものか」という諦めが、

 ありはしないでしょうか。

 

 あるいは、最初に心をときめかせた、あの感興そのものを、

 忘れかけてはいないでしょうか。

 

その隔たりは、毫釐から始まった

 あなたが惹かれた響きと、今あなたが奏でている音。

 その間には、隔たりがあります。

 

 その隔たりは、昨日今日、生まれたものではありません。

 何年弾いても、埋まりませんでした。

 だからこそ、あの諦めがあるのではないでしょうか。

 

 埋まらない、その隔たりは、千里です

 

 しかしその隔たりは、千里の幅で始まったのではありません。

 毫釐(ごうり)の幅で、始まったのです

 

 毫も釐も、長さの単位です

 どちらも、目には見えないほどの、わずかな幅を表します。

 

 その毫釐とは、何でしょうか。

 

 一音いちおんの中に、その音が最も豊かに鳴りきる場所がある。

 その場所を、見極めて奏でたか。見極めずに奏でたか。

 その差です

 

 その場所が、『一点』です

 

 『一点』を奏でたか否か、その一音の中での差は、毫釐にすぎません。

 しかしその毫釐が、一音ごとに積み重なっていきます。

 そして年月を経て、あなたが惹かれた響きとの間に、

 千里の隔たりを生むのです

 

 あなたが今、感じている隔たり。

 それは、才能でも、練習の不足でもありません。

 毫釐の集積なのです

 

 では、その『一点』とは、何なのでしょうか。

 

『一点』とは、何か

 ヴァイオリンの響きの中には、その音が最も豊かに成立する

 『一点』があります。

 そしてヴァイオリン本来音程とは、

 この『一点』を射抜くことで成立するものなのです

 

 『一点』とは、音を区切る概念でも、細切れにする奏法でもありません。

 ヴァイオリンという楽器の個体差を超えて全体が共鳴し、

 倍音が豊かに鳴りきる、美しい響きの成立点です

 それは特定の音だけに存在するものではなく

 ヴァイオリン奏でるべき総ての音の中に普遍的に存在します。

 

 『一点』は、気分や精神論ではありません。

 楽器全体が共鳴しているか、倍音が鳴りきっているか――

 それは主観ではなく、響きそのものに存在する物理的な事実です

 『一点』を射抜いた響きは持続音として次の音へと流れを生み、

 音楽に推進力を与えます。

 外した音は濁り、その流れを失います

 

 ここで、誤解を解いておかなければなりません。

 

 『一点』とは、時間の上の一点ではありません。

 その音が、最も豊かに鳴りきる、響きの成立点です

 点で射抜かれた音は、切れるのではなく、伸びるのです

 鳴りきった響きだけが、次の音へと流れていくのです

 

 力で貫くのでもありません。

 力めば、楽器は鳴りません。

 『一点』を射抜いた響きの中で、ヴァイオリンは自然に、豊かに鳴りきります。

 

 そして正しい音程が、乏しい音であることは、ありえません。

 正しい音程とは、楽器全体が最も豊かに鳴りきった、その響きのことだからです

 乏しい音や濁りのある音であれば、それはヴァイオリン本来音程ではないのです

 

 ヴァイオリンにおいて音色音程は、別のものではありません。

 ヴァイオリン正しい音程と美しい音色は同時に成立します。

 ヴァイオリンの真に美しい音色は、『一点』の響きの中にこそあるのです

 

 今この音が『一点』を射抜いているか、外しているか。

 中間はありません。

 答えを出すのは、楽器です

 

 あなたが惹かれた、あの響きの美しさ。

 あなたが心を奪われた、あの音色の美しさ。

 その正体こそが、『一点』なのです

 

耳から耳へ受け継がれてきた響き

 アウアーからシフェルブラットへ、シフェルブラットから鷲見四郎先生へ。

 世界的名教師の系譜の中で、耳から耳へと継承されてきた響きです。

 その指導を傍らで見続け、歴史的名教師となったのが鷲見三郎先生です。

 私はその両先生に師事し、特に四郎先生のもとでは

 13年にわたって研鑽を積みました。

 

 その四郎先生こそ、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏ホ短調を演奏して、

 日本音楽コンクール初代優勝を果たされた方です

 第2回も四郎先生が優勝されたため、優勝者は再度参加できない

 規定が設けられたほどでした。

 

 四郎先生のもとでの指導は、そのメンデルスゾーンの協奏

 冒頭の「シ」ただ一音の『一点』を射抜くためだけでも、数時間に及ぶものでした。

 

 たった一つの音ですの、最初の音です

 

 その音において射抜くべき『一点』は、一つではありませんでした。

 あの冒頭の「シ」には、5種類ありました。

 そしてその5種類は、任意に選べるものではありませんでした。

 

 私がその後に師事した、二十世紀を代表する巨匠――

 メニューインシェリングスターン

 その取り組みもまた、この『一点』に貫かれていました。

 『一点』は、一人の教師の流儀ではありません。

 物理現象に、流儀はないのです

 

 「○○に師事」という一行は、プロフィールに容易に記載できます。

 しかし「名前を受け取ること」と「音を受け取ること」は、別のことです

 

『一点』は、独りでは見極められません

 ここまでお読みになって、こう思われたかもしれません。

 

 その『一点』が、聴き取れない、と。

 

 そのとおりです

 

 『一点』は、知らなければ見極められません。

 習わなければ、わかりません。

 

 それは、あなたの耳が悪いからではありません。

 そこに『一点』があるということを、誰も教えられなかったからです

 

 ここで、多くの方が途方に暮れてしまうでしょう。

 見極められないものを、どう求めればよいのか。

 聴き取れないものを、どう外さずに奏でればよいのか。

 

しかし、耳を壊している行為は、誰にでもわかります

 『一点』を見極めることは、今はまだできません。

 

 しかし、耳を壊す行為は、違います

 あなたは今日も、それを行っています

 

 毫釐を積み重ねさせているもの。

 多くの者が行い、多くの者が正しいと信じている、三つの行為です

 

 次の三つです

 

 一つ、チューナーで、ヴァイオリン音程取る・取らせる。

 二つ、エチュードを、端から端まで弾き通す・弾き通させる。

 三つ、音程は後から徐々に直せばよいとする。

 

 この三つを、私は「三戒」と呼びます。

 これらが、あなたの耳を壊すのです

 

 ではなぜ、この三つが耳を壊すのか。

 一つずつ、述べます。

 

チューナーは、耳を響きから引き離す

 チューナーは、何を示しているのでしょうか。

 

 周波数です

 弦が、一秒間に何回振動したか。その数値だけです

 

 ヴァイオリン響きは、確かに弦の振動から生まれます。

 しかし、鳴っているのは、弦だけではありません。

 胴も、裏板も、その中の空気も、共に鳴ります。

 チューナーの数値は、そのどれも示してはいません。

 

 では、『一点』とは何であったか。

 楽器全体が共鳴し、倍音が豊かに鳴りきる、その響きの成立点です

 

 周波数は、それを示しません。

 

 楽器全体が鳴っているか。倍音が響き合っているか。

 その音が次の音へと流れる力を持っているか。

 チューナーは、そのいずれについても、何も語りません。

 

 それでも、チューナーは、合っていると示します。

 針を真ん中で見ようとも、高低の目盛を読もうとも、

 示されるのは、数値の一致です

 

 そのとき、あなたは何を確かめたのでしょうか。

 ヴァイオリンが鳴りきったこと、ではありません。

 弦の振動数が、機械の基準と一致したことです

 

 これを繰り返すと、何が起こるでしょうか。

 

 耳が、『一点』を捉えられるようになる道が、閉ざされていきます。

 もともと捉えていたものを、失うのではありません。

 他人の演奏でその響きに惹かれたことは、あるでしょう。

 しかし、自らの楽器でそれを射抜いたことは、ありません。

 まだ一度も捉えていないものを、これから捉える、

 その可能性が、断たれていくのです

 

 これが、耳の破壊です

 

 耳の破壊とは、聞こえなくなることではありません。

 ヴァイオリンが豊かに響く『一点』を、聴き分けられなくなることです

 

 正しさの基準が、響きから数値へ移るからです

 数値が合えば正しいとされ、鳴りきっているかどうかは、問われなくなります。

 問われないものを、耳は聴きません。

 

 チューナーを見るとき、耳は聴くことをしていません。

 数値を追うほどに、耳は響きそのものから離れていくのです

 

 ピアノもまた、同じです

 

 ピアノの音に合わせても、

 あなたのヴァイオリンが鳴りきったかどうかは、わかりません。

 ピアノは、そのヴァイオリンについて、何も知らないからです

 

 ヴァイオリン響きは、ヴァイオリンからしか聴けません。

 

弾き通しは、濁りを聴き流させる

 エチュードを、端から端まで、何巡も弾き通す。

 

 そのとき、一音いちおんは、通過していきます。

 通過していくだけです

 次の音が来ます。また次の音が来ます。

 

 いま鳴ったその音が、鳴りきったのか、濁ったのか。

 それを聴き、確かめる時間は、そこにはありません。

 

 『一点』は、鳴った瞬間に聴かなければ、わかりません。

 鳴りきったか、濁ったか。

 その一音において、確かめるほかないのです

 

 弾き通しは、それをさせません。

 

 こうして、濁ったまま鳴った音が、

 何十回も、何百回も、確かめられずに耳を通ります。

 その積み重ねによって、鳴りきった響きを、耳は聴き取れなくなっていきます。

 

 これが、耳の破壊です

 

 鳴りきった響きを一度も確かめずに、何を基準に弾くというのでしょうか。

 響きに基準を持たない耳は、濁りを濁りと知りません。

 

エチュードは、処方される薬です

 では、エチュードとは、本来、何なのでしょうか。

 

 エチュードとは本来様々な音や状況のなかにあってもなお、

 一音いちおんの中に『一点』を峻厳に聴き分け、

 弾き示せるようにするための教材です

 いわば「薬」です

 

 『一点』を知る指導者という主治医が、学習者という患者の症状を正確に診断し、

 あらゆる音演奏技術において『一点』を奏でられるよう、

 その時点で必要な課題だけを「処方」するものです

 ある患者に必要な薬が、別の患者には毒となることも、当然あります。

 

 ところが最初から最後まで順番に、何巡も弾かせる。

 それは薬棚にある薬を、片っ端から全部飲ませるようなものです

 そのようなことは医学ではあり得ません。

 ヴァイオリン指導においても、決してあってはならないことです

 

 処方するには、診断が要ります。診断には、耳が要ります。

 どの音が、『一点』を外しているのか。

 弾き通させる指導者は、『一点』を教わってはいません。

 そして三戒によって壊されている指導者の耳には、それがわからないのです

 わからなければ、選べない。

 選べなければ、全部やらせるほかありません。

 

 ここで、はっきりと申し上げておきます。

 

 弾き散らかすことは、「作業」です

 一音いちおん『一点』を射抜き、それを紡ぎ続けることが、「演奏です

 

 何巡弾き終えたか、何弾き熟(こな)せたか。

 それは作業の量であって、演奏ではありません。

 量が上達に見えるのは、量しか数えられないからです

 

 そして、これはエチュードに限った話ではありません。

 

 スケールも、も、同じです

 ヴァイオリン奏でる総ての音において、『一点』を射抜くことが求められます。

 

 スケールとは、指を並べる練習ではありません。

 音階一音いちおん『一点』を射抜く練習です

 もまた、通すためにあるのではありません。

 その一音いちおんに、射抜くべき『一点』が在ります。

 

「後から直す」とは、先に耳を壊せということ

 まず弾き通してから直せばよい、という考え方があります。

 を弾き熟(こな)してから、音程を整えればよい、と。

 

 これは、直すのが遅い、という話ではありません。

 

 そもそも、何に向かって直していくというのでしょうか。

 徐々に直すという考えは、到達すべき場所を知らないから生まれます。

 『一点』を射抜いているか、外しているか。

 中間はありません。

 徐々に近づくという発想そのものが、『一点』知らないです

 

 直すまでの間も、その音は、鳴り続けています

 外したまま、何十回も、何百回も。

 その一音いちおんが、耳を壊していきます。

 

 直そうとしたときには、

 何が正しい響きなのか、もうわからなくなっているのです

 

 後で直すとは、先に耳を壊せ、ということに他ならないのです

 

三つに共通するもの

 チューナー。弾き通し。後から直すこと

 この三つは、別々の行為に見えます。

 しかし、その捉え方は、いずれも同じです

 

 数値が合っているか。指が覚えた場所か。最後まで弾き通せたか。

 そのどれもが、ヴァイオリン響きを問うものではありません。

 ヴァイオリンは、そこに一度も答えを出していません。

 

 楽器に答えを出させず、強引に、自らに利する判断で、正しさを決めてしまう。

 その結果、ヴァイオリンの鮮やかな響きから離れていく。

 

 毫釐千里。

 三戒が生むのは、毫釐です

 その毫釐が、やがて千里となるのです

 

最も長く弾いた者が、最も深く壊れている

 三戒に触れて奏でてしまうと、

 その一音いちおんごとに、響き聴く耳へと育つ道は、閉ざされていきます。

 そして、閉ざされてしまった道は、そのままでは開くことはありません。

 

 ですから、長く弾いた者ほど、『一点』を射抜けなくなっていきます。

 より長く弾いてきた者ほど、より深く、

 響き聴く耳へと育つ道は、閉ざされているのです

 

 初心者は、まだ耳を壊されていません。

 むしろ、音大生が、プロ奏者が、そして指導者ヴァイオリン先生)こそが、

 最も深く耳を壊されているのです

 

 しかし、耳が壊れた者ほど、耳が壊れているとは思っていません。

 

 その壊れた耳は、些末な変化に翻弄されます。

 圧力のわずかな違い、指の角度のぶれ、音の揺らぎ。

 楽器を弄り回しながらそれを捉えることを、聴き分ける力だと、誤解するのです

 

 そればかりか、数値の合った音程は、褒められます。

 ぶれず、いつも同じ場所で弾ける――人は、それを褒めるのです

 しかし、その同じ場所で、ヴァイオリンが鳴りきっているとは限りません。

 

 こうして、三戒は広まりました。

 多くの者がそう教え、多くの者がそう復習(さら)っています

 

 しかし、多数であることは、正しさの証明ではありません。

 答えを出すのは、人ではなく楽器だからです

 

 ヴァイオリンは、多数決に従いません。

 鳴りきるか、濁るか。

 それだけを、一音いちおんごとに返してきます。

 

 ここで、冒頭のあの諦めに戻ります。

 

 「まあ、こんなものか」。

 

 この言葉は、多くの場合、謙虚さとして口にされます。

 身の程を知った、大人の分別として。

 

 しかし、そうではありません。

 

 あなたの耳は、あの日惹かれた響きを、確かに知っていました。

 知っていたからこそ、あなたはヴァイオリンを手にしたのです

 あの日、あなたの耳は、正しかったのです

 

 その耳が、『一点』を聴き分ける耳へと育つ道が、

 一音いちおんごとに閉ざされてきました。

 惹かれた響きと、自らの奏でる音との隔たり。

 それを埋める術(すべ)を、誰も示してはくれなかった。

 埋まらないまま、年月だけが積み重なった。

 

 その隔たりを、埋まらないものとして受け入れた言葉。

 それが、「まあ、こんなものか」です

 

 感興が薄れたのではありません。

 その感興を、自らの楽器から鳴らす耳が、育たないままだったのです

 

 そして、この言葉が口をついて出たとき、

 毫釐は、すでに千里となっています

 

三戒に、近づいてはなりません

 ですから、三戒には、決して近づいてはなりません。

 

 この三つは、ヴァイオリンを始めた日から生涯、変わりません。

 初心者も、音大生も、プロ奏者も、指導者も、

 戒めるべきは、同じ三つです

 

 なお、三つのうち一つだけならよい、ということはありません。

 

 チューナーを使うことだけは行う。

 弾き通しだけは行う。

 後から直すことだけは行う。

 そのいずれか一つでも、耳は壊れていきます。

 

 一つ断って、二つ残すのでは、破壊は止まりません。

 二つ断って、一つ残しても、破壊は止まりません。

 三つ総てを、断たなければならないのです

 

 『一点』は、独りでは見極められません。

 しかし、三戒を断つことは、今日からできます。

 それが、独りでできる唯一のことです

 

では、勘と経験で取ればよいのか

 三戒を断ちました。

 では、何を頼りに、音程を取ればよいのでしょうか。

 

 勘と経験で取ればよい、という答えがあります。

 長く弾いてきたのだから、身体が覚えているはずだ、と。

 

 「勘と経験」と呼ばれるものは、次の二つです

 過去に覚えた指の位置の記憶と、その場の感覚による調整です

 

 どちらも、いま鳴っているヴァイオリン響きを聴き、

 『一点』を射抜いた結果ではありません。

 

 三戒は、耳を壊します。

 勘と経験では、耳が育ちません。

 

 では、道はないのでしょうか。

 

 道は、一つです

 一音いちおんの中に『一点』を聴き、それを射抜くこと

 それだけです

 

 『一点』が何であるかを知ることと、

 それを耳で捉えられるようになることは、別です

 ここまでお読みになったあなたは、『一点』が何であるかを知りました。

 しかし、それを捉える耳は、まだ得られていません。

 

耳は、耳からしか、育たない

 まず、消えたのは、『一点』ではありません。

 『一点』は物理現象です

 今も、その音の中に、在り続けています

 

 閉ざされたのは、それを聴き分ける耳へと育つ道なのです

 

 あなたが惹かれた、あの響き

 それは今も、あなたの楽器の中に在ります。

 あなたの手の中で、射抜かれるのを待っています

 

 その耳は、得られます。

 けれども、独りでは、得られません。

 

 なぜでしょうか。

 

 『一点』は、文字にも録音にも動画にも残せません。

 それは、耳から耳へとしか受け継がれないものです

 

 「よく聴きなさい」と言われても、

 何を聴くのかがわからなければ、聴きようがありません。

 聴き分ける耳は、聴き分ける耳によってしか育ちません。

 

 その耳を持つ者の傍らで、一音を聴き、

 自らの楽器でその『一点』を射抜き、外れを指摘され、

 また射抜く。

 その繰り返しの中でしか、耳は開いていきません。

 

壊れた耳は、蘇ります

 では、その耳が蘇るとき、何が起きるのでしょうか。

 

 まず、音程がよくなります。

 しかし、それだけではありません。

 

 音色は美しくなり、ビブラートは豊かになり、

 ポジション移動確実になり、ボウイングは安定します。

 あらゆる技術が、『一点』という一つの根拠へと、収束していくのです

 

 あなたが音色の問題だと思っているものは、音程です

 運弓の問題だと思っているものも、音程です

 ポジション移動が決まらないのも、ビブラートが濁るのも、音程です

 これらの技術は総て、『一点』を射抜くために存在しています

 ですから、『一点』を射抜けない者は、これらを、

 別々の問題として抱え続けるほかないのです

 

 順序は、逆です

 『一点』響きを射抜くことが、正しい音程であり、

 その響きを求め続けるとき、身体が、本来の動きを、取り戻すのです

 

 左手音程も、ポジション移動も、ビブラートも。

 右手の運弓も、圧力も、弓と駒との距離も。

 その総てが、『一点』を射抜くために働きます。

 

 そして、音楽表現に至ります。

 濁りのない響きだけが、次の音へと流れ、フレーズを結び、音楽となるからです

 

 そこに鳴っているのは、あなたが惹かれた、あの響きの美しさです

 

 技術が向上した結果として、ではありません。

 『一点』を射抜いた響きそのものが、あなたが惹かれた、あの美しさなのです

 

 練習意味も、変わります。

 

 これまでは、何を直せばよいのかがわからないまま、

 ただ回数を重ねるほかありませんでした。

 耳が蘇れば、その回数の意味が変わります。

 どの音が『一点』を外しているのかが、自ら聴こえるようになります。

 

 復習うほどに耳が壊れる側から、

 復習うほどに耳が育つ側へと、回るのです

 

 指導者ヴァイオリン先生)であれば、なおのことです

 生徒の耳を破壊する側から、生徒の耳を育てる側へと、回ります。

 どの音が外れているのかが聴こえるからこそ、

 その生徒に処方すべき課題を、選ぶことができます。

 

 私の教室学びに来られた方は、ほぼ100%、例外なく、驚かれます。

 音程直してもらうつもりで来たのに、と。

 演奏技術の総てが飛躍的に向上するばかりか、

 その音楽表現までもが、明解かつ劇的に上達するからです

 

千里は、一音から戻る

 長く弾いたほど、深く壊れている。

 しかしそれは、長く弾いてきたことが無駄であったという意味ではありません。

 

 むしろ、逆です

 

 あなたが積み上げてきた技術は、失われてはいません。

 ただ、その総ては、根拠を欠いたままだったのです

 『一点』という根拠を得たとき、その積み上げは、初めて機能し始めます。

 長く弾いてきた者ほど、変わる幅は大きいのです

 

 毫釐が千里となったのなら、千里を戻るにも、また同じ年月が要るのでしょうか。

 

 そうではありません。

 

 隔たりが千里となったのは、毫釐を毫釐のまま、幾度も見送り続けたからです

 千里とは、距離ではありません。

 外し続けた一音いちおんの、集積です

 

 ですから、射抜いた一音から、その隔たりは消えていきます。

 一音を射抜けば、その一音において、隔たりは無くなるのです

 

 あなたが惹かれた、あの響き

 それは、他人の演奏の中にありました。

 だからこそ、あなたは追いかけてきたのです

 

 耳が蘇るとき、その響きは、あなた自身の楽器から鳴り始めます。

 憧れる側から、奏でる側へ。

 

 「まあ、こんなものか」は、そこで消えます。

 

 当教室には、趣味で学ばれる方から、音大生、プロ奏者、

 指導者(ヴァイオリンの先生)まで通われています。

 (詳しくは「初心者から音大生・演奏者まで」のページをご覧ください)

 指導者が他の教室に習いに行くことは、通常ありません。

 それでも来るのは、ここでしか得られないものがあるからです。

 

 あなたが惹かれた、あの響きは、まだそこで待っています

 射抜くべき『一点』を、あなたの耳が、初めて知る、その時を。

 

 決断は、今です。

ご希望の曜日・時間帯の空き状況は↓でも確認できます

 東京都狛江市にある美しい音色・正しい音程・伝統の奏法重視の

 「イワモト ヴァイオリン教室」

 住所(狛江教室):〒201-0003 東京都狛江市和泉本町2-31-4メイプルビル301

 営業時間    :10:30~23:30(日・月・水・木・土)

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