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イワモト ヴァイオリン教室のブログへようこそ。
イワモト ヴァイオリン教室では
「正しい音程」 (正確な音程)
「本格的な音色」(美しい音)でヴァイオリンを弾くための
基礎的な演奏技術を大切に指導し
一音いちおん丁寧に
各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています。
ダメだと知ってもなお、やめられない
あなたにも、覚えがあるはずです。
これは違うかもしれない――と、どこかで気づきながらも、
何となく続けてしまった経験。
続けてしまうのは、それが正しいからというより、
もしここで引き返せば、これまで費やした時間が、労力が、金銭が、
すべて無駄になってしまう。
それが惜しくて、引き返せない。
これは違うかもしれないと、何となくは気づきながらも、
今までの方法を続けてしまう。
それは、あなたの意思が弱いからではありません。
人は、数年、あるいは数十年をかけて積み上げてきたやり方を、
なぜ人は、それではダメだと知ってもなお、手放せないのでしょうか。
ダメだと知っても、やめられない理由
私の教室では、レッスンに先立ち、
楽器を整える段階を経て、響きを聴ける状態を作ります。
(詳しくは「体験レッスンについて(当教室のポリシー)」をご覧ください。)
そのうえでレッスンを重ねると、
生徒さん自身の耳が捉える瞬間が訪れます。
すると、生徒さんは驚きの声をあげます。
ところが、次の瞬間、こんな台詞を、しばしば聞きます。
「でも今の音は、指を置いた幅や感覚が、チューナーで音程を取った時と違う」。
ですから私は、冗談でも、たとえ話でもなく、心の底から本気で言います。
「チューナーは、燃えないゴミの日に、捨ててください」と。
チューナーではヴァイオリンの正しい音程は取れないことも、理解した。
それでも、チューナーを手放せない。
ダメだと知っても、なお、それまで慣れ親しんだ、
目で見て判断できるものへと戻っていく。
それは、あなたの理解が足りないからではありません。
人は、分かりやすい満足に、依存します。
これらは、目に見え、数えられ、確かな手応えを与えてくれます。
しかし、その手応えでは、ヴァイオリンは美しく豊かな響きを奏でません。
こうした、ダメだと知ってもなお、やめられないことへの満足と回帰を、
中毒といいます。
そして、人は、費やしたものを惜しみます。
これまでに注ぎ込んだ、時間、労力、金銭。
それが誤りへの道だと薄々気づいても、引き返せば、費やしたすべてが、
無駄になる。
だから、引き返せない。
この、費やしたものへの未練を、埋没費用といいます。
人は、誤りだと知れば、やめられるわけではありません。
むしろ、時間や労力、金銭を費やしたものほど、手放せなくなります。
その薬は、毒にもなる
中毒は、チューナーだけではありません。
エチュードを、最初から最後まで、何巡も弾き通させることも、また中毒です。
いわば「薬」です。
『一点』を知る指導者という主治医が、学習者という患者の症状を診断し、
課題を選んで処方し、その課題で処置していくものです。
ある患者に必要な薬が、別の患者には毒となることも、当然あります。
それは、薬棚にある薬を、片っ端から全部飲ませるようなものです。
何巡したかを数える達成感は、ここから生まれます。
薬も、使い方を間違えば、毒になります。
その中毒は、耳を壊す
では、チューナーと弾き通しという中毒は、何を壊すのでしょうか。
壊れるのは、耳です。
『一点』を外した音は、濁ります。
その濁った音のまま弾き続ければ、
混濁した響きを、生徒の耳が「正解」として受け入れてしまいます。
誤りは身体に刻み込まれ、修正には何倍もの労力を要します。
『一点』を聴き分ける力を失った耳は、些末な変化に翻弄されます。
圧力のわずかな違い、指の角度のぶれ、音の揺らぎ。
楽器を弄り回しながらそれを捉えることを、聴き分ける力だと誤解するのです。
ここに、最も根深い罠があります。
些末な変化を追えることを、耳が壊れていない証拠だと思い込む。
しかし、楽器を操作し、弄り回し、些末な変化を追いかけるその耳には、
『一点』は永遠に聴こえません。
些末な変化を追えているその手応えこそが、
そして、恐ろしいことに、壊れるのは生徒の耳だけではありません。
正しいやり方を教わらず、チューナーと弾き通しのほかに手立てを持たない、
その指導者の耳もまた破壊され、
壊れた耳が、次の世代の耳を壊す。
こうして、聴こえぬ耳が、耳から耳へと、受け継がれていくのです。
偽りの安心に、縋る
では、なぜ人は、
チューナーの数値や、エチュードの回数に、縋ろうとするのでしょうか。
知らなければ、響きに注意は向きません。
注意が向かなければ、耳は育ちません。
響きを聴き分ける耳が育つまで、耳は、何の手がかりも与えてくれません。
まだ育っていない耳にも、偽りの安心を与えてくれます。
チューナーの針は、偽りの判定を、はっきり示す。
エチュードを何巡したかは、空虚な達成感を、満たしてくれる。
だから、皮肉なことが起きます。
熱心な人ほど、見えるものや数えられるものに縋り、
自分自身だけは疑えない
ここで、対照的な、二人の学び手を例示してみます。
一人は、疑いを持たぬ人です。
多数がそうしているから…
皆がそう言うから…
先生がそう教えるから…
その人は、何一つ疑わず、誤った一本道を、忠実に歩き続けます。
そして、中毒から、抜け出せない。
皮肉にも、その疑いのなさこそが、その人を縛っているのです。
もう一人は、疑いを持つ人です。
その人は、まさにその疑いゆえに、今より良いものを探し当て、
たとえば、この文章にまで、たどり着きます。
ところが、たどり着いたこの文章にまで、疑いを持ち、素直には受け入れない。
自分に都合のよい意見や、ネット上の記述を拾い集めては、反論を試みるのです。
ここに、痛切な逆説があります。
人を、より良いものへとたどり着かせる力と
人を、より良いものの前で抵抗させる力は、
実は同じ一つの性質――疑い――なのです。
両者を分けるものは、疑いの量ではありません。何を疑うかです。
疑いを持つ人は、自分の外を、疑い尽くします。
多数派を疑い、常識を疑い、指導者すら疑う。
それでいて、自分が投じてきたものだけは、決して、疑いの俎上に載せない。
世界のすべてを疑える人が、自分の費やしたものだけは、疑えない。
埋没費用とは、まさに、これです。
この抵抗が極まると、倒錯が起こります。
むしろ、根拠のない怪しげなものと見なす。
これほど多くの教師が使っているものを否定するのは異様だ、と。
しかし、多くの教師が使っていることは、
その教師たちの多くもまた、
チューナーと弾き通しのほかに、手立てを持たない。だから、使う。使わせる。
つまり、チューナーがこれほど広まっているのは、
それが正しいからではありません。
正しさを示せない指導が、耳から耳へと受け継がれてきたからです。
その問いに答えられなければ、生徒は結局、チューナーへ戻るほかありません。
否定することは、誰にでもできます。
問われるのは、その先を示せるかどうかです。
出口は、『一点』にある
疑うべきか、従うべきか。この問いを、『一点』が、無効にします。
あなた自身の耳で、ヴァイオリンの響きそのものを聴け、という、その一事です。
けれども、その耳は、『一点』を聴いたことのある耳からしか、育ちません。
『一点』とは、ヴァイオリンという楽器の個体差を超えて全体が共鳴し、
倍音が最も豊かに美しく響く、その成立点です。
それは開放弦と同名音だけにあるのではなく、
ヴァイオリンで奏でるべき総ての音の中に、普遍的に存在します。
『一点』は、気分や精神論ではありません。
楽器全体が共鳴しているか、倍音が最も豊かに美しく響いているか――
それは主観ではなく、響きそのものに存在する物理的な事実です。
数値や記録ではなく、目の前で鳴っているヴァイオリンの響きを、
その場で聴き分けるほかないのです。
ピアノはヴァイオリンの響きではないため、『一点』を示せません。
そしてチューナーは、ヴァイオリンの響きそのものを捉えられません。
チューナーの針を見るとき、耳は働いていません。
使うほどに、耳は破壊されていきます。
この『一点』は、どこから来るのか。
アウアーからシフェルブラットへ、シフェルブラットから鷲見四郎先生へ。
世界的名教師の系譜の中で、耳から耳へと継承されてきた響きです。
その指導を傍らで見続け、歴史的名教師となったのが鷲見三郎先生です。
私はその両先生に師事し、特に四郎先生のもとでは、
13年にわたって研鑽を積みました。
世界的な巨匠たちの取り組みもまた、この『一点』に貫かれていました。
『一点』は、文字にも、録音にも、動画にも残せません。
その、耳から耳への軌跡の先に、この『一点』は、あります。
『一点』の前には、従順も、抵抗もありません。
どうか、あなたが世界へ向けてきた、その疑いの力を、
今度は、自分が握りしめているものへ、向けてください。
このプロセスを、迅速に受け入れる方は、例外なく、急速に上達します。
指導者が他の教室に習いに行くことは、通常ありません。
それでも来るのは、ここでしか得られないものがあるからです。
(詳しくは「初心者から音大生・演奏者まで」のページをご覧ください。)
手放すのは、恐ろしいかもしれません。
これまで費やしたものが、無駄になるように、思えるかもしれません。
しかし、握りしめていた手を開いたとき、その手は、驚くほど、軽い。
あなたは、知らずしらずのうちに耳を破壊していた中毒から、抜け出せるのです。
多数派であることは、正しさの証明ではありません。
決断は、今です。
東京都狛江市にある美しい音色・正しい音程・伝統の奏法重視の
「イワモト ヴァイオリン教室」
住所(狛江教室):〒201-0003 東京都狛江市和泉本町2-31-4メイプルビル301
営業時間 :10:30~23:30(日・月・水・木・土)
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カテゴリ: 究極のヴァイオリン奏法
