「耳の死」を招く練習とは?――学ぶべきヴァイオリン本来の奏法

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「耳の死」を招くヴァイオリンの練習法。あなたの耳が昇天するのを防ぐには?

演奏との出会いが招く、意外な落とし穴

 素晴らしい演奏に出会ったとき、私たちの心は大きく揺さぶられます。

 

 現代は、世界中の名演奏がいつでも手元で聴ける幸運な時代です

 ところが、この便利さが思わぬ陥穽を生んでいます

 

 「この演奏を参考にしよう」

 「録音と一緒に弾いて、感覚をつかもう」

 「何度も聴き込めば、自然と身につくはずだ」

 こうした発想は、一見合理的に思えます。

 

 しかし実は、ヴァイオリンの本質を見誤った、極めて有害な練習です

 その「憧れ」が練習の場に持ち込まれたとき、それは上達を阻む

 「思考停止の猛毒」へと変貌し、確実に、あなたの耳を壊死させるのです

 

 なぜ、このような危険が生じるのか。

 

 それは、録音の真似などそもそも不可能であり、録音と一緒に弾くこと

 百害あって一利なしだからです。その根源的な理由を理解するには、まず

 ヴァイオリンという楽器の本質――すなわち『一点』 について知らなければ

 なりません。

 

ヴァイオリンが抱える「三つ巴の響き

 ヴァイオリンには、常に求められるべき「三つの響き」が存在します。

 

 それは

 ・旋律としての響き

 ・重音としての響き

 ・開放弦の響き(固定された響きです

 この「三つ巴」を、その音に応じて一音ごとに瞬時に判断し、選択し続けなければ

 なりません。しかもその判断は、前後の音との関係、和声の流れ、これらすべてを

 総合的に考慮した上でなされる必要があります。

 

 これは、三つの異なる方程式を同時に解き続けるような、極めて知的な作業です

 そして、その解法は演奏者ごとに異なります。ただしそれは、音程を恣意的に選べる

 という意味ではありません。

 

 ヴァイオリンには、楽器の個体差を超えて、物理法則として、最も美しく豊かに響き

 鳴りきる『一点』 が普遍的に存在します。この『一点』 を峻厳に聴き分け、選び取る

 ことこそが、ヴァイオリン本来奏法なのです

 そして、その『一点』 は演奏の唯一の基点となります。各人の身体や楽器がどれほど

 異なっていても、すべての技術『一点』 へと収束するのです

 

あなたの身体が、あなたの『一点』を導き出す

 では、この『一点』 は、どのように実現されるのでしょうか。

 

 楽器の個体差を超えて普遍的に存在する『一点』 ――しかし、その『一点』 へ到達する

 プロセスは、演奏者楽器の組み合わせごとに固有です

 

 骨格の違い。筋肉の質の違い。指の状の違い。これらすべてが、弦を押さえる位置

 圧力、角度に影響を与えます。そして楽器そのものの特性も同様です。使用する楽器

 響きの特徴、弓の性質、弓毛の状態。弦の銘柄と張り具合。演奏する空間の響き

 その日の気温と湿度。

 

 これらの要素が複雑に絡み合って、初めて「この瞬間、この楽器で、最も美しく響く

 正解」が決まるのです

 

 つまり、名手の録音とは、その奏者の肉体と楽器が、その瞬間の環境において導き

 出した「たった一度きりの解」の記録に他なりません。

 

 ですから、録音という他者の演奏から音楽表現や解釈を学ぶことできても、

 その響きそのものを模倣することは原理的に不可能ですなぜなら、録音に記録され

 ているのは、その演奏者固有の条件下で瞬間しゅんかんに判断され選び取られた

 『一点』 の連続だからです。その演奏者と全く異なる身体、全く異なる楽器

 全く異なる環境を持つ私たちには、その演奏者が辿ったプロセスを再現することなど

 できません。それを演奏した本人でさえ、同じ録音を二度と作ることはできないの

 ですいわんや他者が模倣することなど、絶対に不可能なのです

 

 このように、『一点』 という物理法則は普遍的ですが、その『一点』 を実現する

 プロセスは、演奏者楽器の組み合わせごとに固有です

 録音に記録されているのは、その演奏者が辿った固有のプロセスの結果です

 私たちは同じ『一点』 を目指すことはできても、その演奏者が辿ったプロセス

 そのものを再現することはできません。

 

 だからこそ、録音を模倣することなど、原理的に不可能なのです

 

 ここで重要な疑問が生じます。各奏者が異なる身体、異なる楽器を用いているのに、

 なぜピアノとの合奏や、オーケストラでの演奏では、調和した響きが生まれるのか、

 と。

 

 しかし実際には、各奏者が響き『一点』 を聴き分けるという共通のアプローチに

 よって、自然と調和し統一された響きが生まれるのです。これは、楽譜や指示だけで

 達成されるものではありません。各奏者が自らの耳で響きを聴き分け、他の奏者との

 響きの調和を図りながら、その場に相応しい『一点』 を瞬時に選び取っているから

 こそ可能になるのです

 

 では、『一点』 とは具体的にどのようなものなのか。

 まず、よくある誤解を解いておく必要があります。

 

『一点』は「細切れの音」ではない

 一音いちおん『一点』 を射抜くとは、「細切れの音」を意味するのでしょうか。

 

 それは全くの誤解です

 

 『一点』 を射抜くとは、ヴァイオリンという楽器において、その個体差を超えて

 物理的に最も美しい響きが豊かに鳴りきる『一点』 を峻厳に見極めること

 意味します。峻厳に見極められた『一点』 から流れ出す響きは、擦弦楽器である

 ヴァイオリンならではの持続音として紡がれ続け、次の音へと向かう自然な推進力を

 生み出します。それは、前の音から引き継いだ響きのエネルギーが「流動」となって

 音楽に生命を与えるのです

 そしてその『一点』 から噴出する響きのエネルギーを連続させることこそが、

 ヴァイオリンの真の響きをホールじゅうに満たす、本来奏法に他なりません。

 

 指揮者の振る拍点が、突如として現れるのではなく、その手前のアウフタクトから

 必然的に導き出されるようにヴァイオリン『一点』 もまた、そこにあるべくして

 存在する「必然の帰結」なのです

 

「徐々に良くする」という致命的な誤解

 もうひとつ、『一点』 をめぐる重要な誤解があります。

 それは、「響きのクオリティは徐々に改善していけばいい」という考え方です。

 

 ヴァイオリンには、楽器の個体差を超えて、最も美しく豊かに響き鳴りきる物理的な

 正解――『一点』 があります。しかし、「音を繋げて歌う」「音楽的に歌うように

 といった情緒的な言葉に酔い、肝心のその『一点』 を外したまま、混濁した音を

 連ねてしまった場合、どうなるか。

 

 どれほど滑らかに音を繋げようとしても、その一音いちおん『一点』 を射抜いて

 いなければ、それは音楽の「歌」ではなく、単なる混濁した「騒音」の連続に

 過ぎません。そして、耳は『一点』 を精緻に判別する機能を失い、体は混濁した

 響きを「正しい」と記憶してしまい、修正には想像以上の困難が伴うのです

 

 ですから、一音たりとも『一点』 を外した音を許容してはなりません。最初の一音

 から物理的に鳴りきる響きを希求し、射抜き続ける。これこそがヴァイオリン

 本来奏法としての練習であり、その峻厳な姿勢の積み重ねの先にしか、本物

 音楽は宿らないのです

 

 では、なぜ多くの学習者が、この『一点』 を聴き分ける能力を失ってしまうのか。

 その最も残酷な理由は、既にあなた自身の練習方法の中に潜んでいます

 

エチュードの「弾き通し」が耳を破壊するメカニズム

 エチュードを最後まで弾き通すという行為は、一見すると練習そのもののように

 思えます。しかし、ヴァイオリン本来奏法において、これは「退化への投資」に

 他ならないのです

 

 一音いちおん『一点』 を峻厳に見極めることなく、ただ指を動かして

 最後まで到達することを目的とする弾き通しを繰り返すと、何が起こるか。

 

 先に述べたように、耳は『一点』 を精緻に判別する機能を失い、体は混濁した

 響きを「正しい」と記憶し、その演奏は騒音の連続と化しているです

 エチュードを最後まで弾き通すという行為は、まさにこうした「耳の破壊工作」

 なのです

 

チューナーという「思考停止装置」

 チューナーに頼る習慣も、同様に耳の能力を奪います

 

 ヴァイオリン『一点』 は、電子機器が測定できる単純な周波数ではありません。

 それは、楽器全体が共鳴し、倍音が豊かに響き合う、複雑な物理現象です

 ヴァイオリンという楽器全体の共鳴や倍音の微細な情報を、チューナーが測定

 できるはずがないのです

 

 チューナーの針が中央を指せば「正しい

 チューナーの針のズレも考慮した「判定」――そもそもがヴァイオリンの真の響き

 捉えられない電子機器に依存したこのような行為は、あなたの耳から、響きの微細な

 変化を聴き分ける能力を確実に奪い続けるのです

 

なぜ「弾き真似」ができると錯覚してしまうのか

 ここで、冒頭の問いに立ち返らなければなりません。

 なぜ、録音と一緒に弾くことで「真似ができた」と感じてしまうのでしょうか。

 

 その答えは、極めて残酷です

 それは、既に、あなたの耳が『一点』 を聴き分ける能力を失っているからです

 

 この『一点』 を峻厳に聴き分ける耳を持っていれば、他者の演奏と自分の演奏の違い

 が、痛いほど明確に分かります。響きの質の相違、倍音構造の違い、共鳴の在り方の

 差異――これらすべてが、鮮明に耳に届くのです

 

 ところが、もしエチュードを何度も弾き通す練習を繰り返してしまっていたら。

 もしチューナーという、ヴァイオリンの真の響きを捉えられない電子機器に依存する

 習慣が身についてしまっていたら。

 

 あなたの耳から、響きの微細な変化を聴き分ける能力は既に奪われているのです

 

「録音と一緒に弾く」という最後の一撃

 こうして既に耳の能力を失った状態で、さらに「録音と一緒に弾く」練習

 してしまうと、何が起こるか。

 

 ここで「合奏やオーケストラでは他者と調和できるのだから、録音とも調和を図れば

 いいのではないか」と考える方がいるかもしれません。

 

 しかし、これは根本的な誤解です

 

 合奏における調和とは、各奏者が『一点』 を聴き分ける耳を持った上で、

 リアルタイムに互いの響きを聴き合い、瞬間しゅんかんに『一点』 を微調整

 しながら作り上げる、生きた対話です。そこでは、自らの楽器響きも、

 他者の響きも、すべてが鮮明に聴き分けられています。

 

 ところが、録音と一緒に弾く場合は全く異なります。録音は固定された過去の音

 であり、こちらの響きに応じて変化することはありません。そして最も重要なのは、

 録音という「完成された響き」が常に耳を支配してしまうことです

 合奏では、各奏者の音はそれぞれ「未完成」の状態で混ざり合い、互いに調整し合い

 ながら響きを作り上げます。だからこそ、自分の音の微細な変化も、他者の音の変化

 も、明瞭に聴き分けることができるのです

 それに対して、録音という「既に完成され、固定された響き」と重ねて弾くと、

 耳はその完成された響きに引き寄せられ、支配されてしまいます。自分の音を聴こう

 としても録音の完成された響きが常に優位に立ち、自らの楽器が発する微細な情報

 ――響きのわずかなズレ、音の濁り、倍音の欠如――こうした自らが『一点』 で

 あるかどうかを判断する材料が、その完成された録音によって完全に塗り潰されて

 しまうのです

 合奏では互いに「聴き合い、調整し合う」ことができますが、録音と重ねると

 「一方的に支配される」だけで、自分の音を聴くことすらできなくなる――これが

 決定的な違いなのです

 

 ですから、「録音と一緒に弾く」練習をしてしまうことは、耳の能力を完全に

 奪い去る、最後の一撃となるのです

 

 録音と一緒に弾いて得られるのは、他者の音に紛れ込んだ「弾けた気分」だけです

 

そして、致命的な錯覚が生まれる

 そして、この状態で録音と一緒に弾き続けると、自分の響きと録音の響きの「相違」

 が、もはや聞き取れないために

 「まあ、こんなものだろう」

 「大きくは外れていない

 という曖昧な妥協で満足してしまうのではなく、さらには

 「完全に一致している

 「寸分違わず同じ響きが出せている」

 とまで錯覚し、それが達成されたと信じ込んでしまうのです

 

学習者のみならず指導者にも蔓延する「耳の死」

 既に耳の能力を喪失した人は、楽器や奏法上の些末な変化や表面的な技術に没入し

 空虚な差異を「深淵な響きの探求」だと信じ込んでしまいます。しかし、肝心の

 『一点』 をより聴き分けるための調整や、パーツさらには楽器や弓でも、最適な

 選択はできないのです

 

 そして、これは学習者だけの問題ではありません。指導者自身が、かつてこうした

 練習よって、既に耳の能力を失ってしまっているケースも少なくないのです

 自らの耳が『一点』 を聴き分けられなくなった指導者は、生徒に対しても同じ

 誤った練習法を「良かれ」と思って指導してしまう――この悪循環こそが、

 ヴァイオリン教育の現場で静かに広がっている、最も深刻な問題なのです

 

 しかし、学習者は、そうした指導者の耳が既に壊死しているとは気づけないのです

 だからこそ、あなた自身が『一点』 を聴き分ける耳を持つことが、そうした耳の

 壊死した指導者に就かないで済む、唯一の自衛手段なのです

 

『一点』を聴き分ける耳――これこそがすべての始まり

 では、どうすればよいのか。

 

 答えは明確です。自分自身の耳で、自分自身の楽器が発する『一点』 を見極める

 ための響き聴くことです

 

 『一点』 を聴き分けることなく、エチュードを弾き通す練習をしているなら、

 今すぐやめてください。

 一音いちおん『一点』 を峻厳に見極める――この訓練に立ち戻ってください。

 

 チューナーに頼る習慣が身についているなら、今すぐ手放してください。

 『一点』 は、ヴァイオリン響きそのものが教えてくれるものであり、

 それを聴き取る耳を養うことこそが本質なのです

 

 録音と一緒に弾く練習をしているなら、今すぐ再生を止めてください。

 自分の楽器だけの音を、峻厳に聴いてください。

 

 『一点』 を聴き分ける耳さえ手に入れれば、運弓も、ビブラートも、表現も、

 すべては自ずと一つの響きへと収束していきます。一度その響きを耳が覚えた瞬間、

 霧が晴れるようにすべてが繋がり、昨日までの苦行が、心地よい響きの探求へと

 嘘のように変わるでしょう。

 

 誤った練習よって失われた耳の能力は、正しい訓練よって回復させること

 できます。しかし、それには時間がかかります。だからこそ、一刻も早く本来

 奏法学び始めることが重要なのです。これは初心者だけの話ではありません。

 むしろ、長年にわたって誤った練習を積み重ねてきた上級者ほど、回復には

 より多くの時間と努力を要します。今この瞬間から、正しい道へと舵を切る

 ことが、あなたの音楽人生を変える第一歩となるのです

 

技術が音楽へと昇華される瞬間

 当教室では、楽の解釈以前に、この『一点』 を耳で選び取る訓練常に徹底して

 行い続けています。先日もある生徒さんが、基礎レッスンの合間にわずかな

 アドバイスを受けただけで、ある楽で、これ以上ないほどの音楽に満ち溢れた

 演奏を成し遂げました。

 

 それは、左手右手ビブラートも、すべてが「正しい響き」という一点に収束する

 ように日々訓練を積み重ねてきた結果、技術が自ずと音楽へと昇華されたからです

 

 上級者、音大生、プロ奏者、指導者の方々までもが当教室に通われるのも、

 こうした『一点』を耳で選び取る訓練を徹底して行うためです。

(詳しくは『初心者から音大生・演奏者まで』のページをご覧ください)

 

録音は「鑑賞」するもの、練習は「自分の耳」で

 優れた演奏の録音は、音楽の深みや表現の可能性を学ぶために、大いに楽しみ、

 鑑賞すべきです。そこから得られる感動や気づきは、かけがえのない体験です

 

 しかし、鑑賞と練習は、明確に区別しなければなりません。

 

 録音を何度聴いても、あなたの楽器『一点』 は見つかりません。

 録音を何十時間聴いても、あなたの耳が響きを聴き分ける能力は養われません。

 むしろ、録音にはヴァイオリン『一点』 を判別するための手がかり――楽器全体の

 共鳴、倍音の響き合い、空間への広がり――これらの微細な情報が欠落しています

 そのような音に耳が慣れてしまうことは、真の響きを峻厳に見極める能力を鈍らせる

 危険性さえあるのです

 

 ですから、録音は音楽性や解釈を学ぶための「鑑賞」に留め、練習の場には決して

 持ち込まないでください。

 

 あなたの身体、あなたの楽器が生み出す『一点』 は、あなた以外の何人たりとも

 奏でることも真似ることもできない、唯一無二のものです

 その響きに磨きをかけ、物理的な正解を射抜き続けることこそが、ヴァイオリン

 本当意味での上達なのです

 

なぜ、この『真理』は語られないのか

 ここまで読んで、疑問に思われたかもしれません。

 「これほど本質的なことが、なぜ広く教えられていないのか」と。

 

 それは、現代のヴァイオリン教育が「響き」の質よりも「」や「進度」を優先

 させる構造へと変質してしまったからです。一人ひとりの『一点』 を峻厳に聴き分け

 させるには、指導者側に圧倒的な耳の能力と、生徒に向き合うための膨大な時間が

 求められます。

 

 しかし、効率を重視する現代の教育システムでは、音大ですら「『一点』 を峻厳に

 聴き分けることなく、とりあえず弾き通せるようにする」ことが優先されています。

 その結果、音大を出ても、プロとして活動していても、自らの耳で『一点』 を

 判別する能力を欠いたまま指導にあたる――この「専門性の欠如」こそが現代の

 ヴァイオリン教育が抱える最も深刻な空洞化なのです

 

 加えて、『一点』 を見極めることのない表面的な「楽器やパーツの蘊蓄」や、

 「録音との同時演奏」による疑似的な達成感は、生徒を一時的に満足させます。

 それはビジネスの合理性としては正解かもしれませんが、ヴァイオリン本来奏法

 習得そして音楽の探求においては、決定的な遠回りと言わざるを得ません。

 

 あなたが音大を出ていても、プロであっても、この事実を知らなかったこと

 何も恥ずかしいことではありません。教育システム全体が、ヴァイオリン

 演奏において、『一点』 を見極めるという峻厳な技術伝承する力を失いつつ

 あるからです

 しかし、もしあなたが「今の響きでは、何かが違う」と感じているなら、

 その違和感こそが、あなたの耳がまだ『一点』 という真実を求めている証拠

 なのですそして今、あなたはその扉の前に立っているのです

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