ヴァイオリンと『蜘蛛の糸』――あなたの「耳」の主権

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芥川龍之介『蜘蛛の糸』をモチーフにした絵画。地獄の炎の中から極楽へと垂れる一筋の糸に手を伸ばす場面。ヴァイオリン上達と耳の主権を問う記事のイメージ。

地獄とは、炎ではなく「無音」である

 芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を、あなたはご存じのことと思います。

 

 地獄の底に堕ちたカンダタ。

 その頭上から、極楽の御釈迦様が一本の蜘蛛の糸を垂らす。

 カンダタは必死にその糸を登り始めます。

 しかし、ふと下を見て、多数の罪人達も登って来るので「下りろ」と叫んだ瞬間

 ――糸は切れ、彼は再び地獄の底へと落ちていく。

 

 この物語を、今一度、ヴァイオリンという楽器を前にして

 読み直してみてください。

 

 地獄とは、炎が燃える場所ではありません。

 ヴァイオリン演奏における地獄とは

 ――奏者が自分の音を聴かない世界のことです

 

 音を聴くべきあなたが「耳」を失った世界。

 奏者でありながら、自らの楽器との対話を絶ち、

 他者の評価という外なる声だけを拠り所とする世界。

 

 そこには、地獄の炎はありません。

 しかし、演奏の根幹が転倒しています

 奏者であるはずの者が、聴衆の顔色を窺うことを「演奏」と信じて疑わない。

 

 そして、さらに恐ろしいことがあります。

 その地獄は、美しい言葉で舗装されていることです

 

演奏の良否は聴衆が決める」――道徳の顔をした自己愛

 こういう言葉を、あなたも聞いたことがあるかもしれません。

 「演奏の良否は聴衆が決めるものだ」

 「他人に評価されたいと考えることが、客観視というものだ」

 美しく、高潔にさえ聞こえます。

 

 「自分のために弾くのではなく、聴衆のために弾く」

 ――これほど崇高な演奏家の姿勢があるでしょうか。

 反論しようとすると、

 「あなたは自分のためだけに弾くのか」という問いが返ってきそうで、

 言葉に詰まる。

 

 しかし、ここで一度、立ち止まってください。

 

 「聴衆のために弾いている」と言う人間は、本当に聴衆を見ているでしょうか。

 評価を基準にしている瞬間、あなたが見ているのは聴衆ではありません。

 評価する聴衆ではなく、評価される自分の姿を見ているのです

 

 「聴衆のために」という言葉は、実は聴衆を向いていません。

 それは自己像への執着を、道徳の言葉で包んだものです

 迎合ですらない。聴衆という鏡に映る自分を見ているだけなのです

 

 「聴衆のために弾け」という言葉ほど、奏者の耳から主権を奪う言葉はありません。

 それは道徳の顔をしているがゆえに、誰も疑わない。疑えない。

 そしてその言葉を信じた瞬間から、奏者は楽器ではなく、聴衆という鏡に向かって

 弾き始めます。

 

奏者と聴衆――「原因」と「結果」の厳然たる違い

 ヴァイオリンという楽器において、その個体差を超えて物理的に最も美しい響き

 豊かに鳴りきる点――それが『一点』 ですチューナーが測定できる単純な周波数

 ではなく、楽器全体が共鳴し、倍音が豊かに響き合う複雑な物理現象であり、

 一音いちおんで射抜かれた『一点』から流れ出す響きは、持続音として紡がれ続け、

 次の音へと向かう自然な推進力を生み出します。

 

 奏者の仕事は、その『一点』 を一音いちおん、自らの耳で峻厳に見極め紡ぎ奏で

 続けることです。これは他の誰にもできない、奏者だけに与えられた、そして

 奏者だけが果たさなければならない責任です

 

 聴衆は、その奏者の仕事の「結果」として届けられた響きを享受し、評価します。

 聴衆の評価は「結果への反応」であり、「原因の指針」にはなりえません。

 

 「他人がどう聴くか」を練習の基準にしてしまった瞬間、奏者は自分の耳で楽器と

 対話することをやめ、「正解のない闇」の中を彷徨うことなります。

 

 演奏における主権の転倒とは、これです

 奏者の耳にあるべき主権が、聴衆という名の鏡へと明け渡される。

 そこから先は、もはや「演奏」ではありません。

 単に楽器で音を弾きちらかす「作業」でしかないのです

 

 ここで、一つの問いを立てます。

 「上手い演奏とは、聴き手のものだ」——この言葉は、正しいでしょうか。

 

 半分は、正しい。結果として届いた響きを評価するのは、確かに聴衆です

 しかし、その言葉には、致命的な前提の欠落があります。

 

 聴衆は「良い音」と「好みの音」を区別できません。これは聴衆の能力の問題では

 ありません。構造の問題です楽器が物理的に最も美しい響きで鳴りきっているか

 どうか――その事実は、奏者の耳が判断するものです。聴衆の耳には、結果だけが

 届きます。原因は届かない。

 

 だとすれば、「聴き手がどう感じるかを基準にせよ」という指針は、何を意味する

 でしょうか。羅針盤のない船で、波のだけを見て舵を切るようなものです

 

 聴衆が感動するのは、奏者が『一点』 を射抜いた結果です

 聴衆の感動を目指して弾いても、『一点』 は射抜けない。順序が、逆なのです

 

 聴衆が感動する源泉である「好み」が揺れ動くことはあります。

 けれども『一点』 は揺れません。

 楽器が物理的に最も美しい響きで鳴りきっているかどうかは、

 流行とも主観とも無関係な物理法則です

 

蜘蛛の糸は、どこに垂れているか

 では、この転倒した世界に垂れている「蜘蛛の糸」とは何でしょうか。

 

 それは、チューナーではありません。

 聴衆の拍手でもありません。

 評論家の言葉でもなく、他の奏者との比較でもありません。

 

 蜘蛛の糸とは、自分の楽器響き『一点』 を聴き分ける、

 自らの耳――その一筋の峻厳な取り組みだけなのです

 

 その糸は、今この瞬間も、あなたの頭上に垂れています

 チューナーに頼り始める前から。他者の評価を気にし始める前から。

 その糸は最初から、そこにあります。

 

 問題は、その糸に気づいているかどうか。

 そして、その糸を掴もうとしているかどうかです

 

糸が切れる瞬間――「聴衆を基準に自分を決めた」その瞬間

 カンダタの糸が切れたのは、なぜでしょうか。

 

 糸が切れたのは、「下を見た」からではありません。

 意識が他へ向いた――他の罪人たちを意識し、自分以外のものを基準にしようとした

 その瞬間です

 

 ヴァイオリン演奏においても、まったく同じ構造が潜んでいます

 

 「聴衆を見ること」は、問題ではありません。

 糸が切れるのは、「聴衆を見る」瞬間ではなく、意識が楽器の響きから他へ向いた

 ――聴衆を基準にして自分を決めようとした、その瞬間です

 

 一音いちおん『一点』 を耳で峻厳に見極めながら弾いている。

 その瞬間、頭の片隅に忍び込む問いがあります。

 

 「この響きは、評価されるだろうか」

 「好かれるように、計算しよう」

 「聴衆を支配したい

 

 その瞬間、意識が他へと向く。

 楽器響きから離れ、聴衆という鏡の中の自分へと向かう。

 糸は、その瞬間に手から滑ります。

 

 問題は、こうした心の動きではありません。構造です

 「聴衆を見ること」と「聴衆を基準に自分を決めること

 この二つは、似て非なるものです

 その一線を越えてしまった時、手に握られていた糸が切れるのです

 

「客観視」という言葉の悪用

 「他人に評価されたいと考えることが客観視だ」という論は、

 「客観視」という言葉を悪用しています

 

 本物の客観視とは何か。

 

 自分の出した音が、物理的な『一点』 を射抜いているか、

 楽器が最も美しい響きで鳴りきっているかを、冷静に聴き分けること

 それが、演奏における真の客観視です

 

 「こう弾けば褒められるかな」という問いは、客観視ではありません。

 聴衆という鏡の中の自分を見ているだけです

 

 奏者が自分の音に責任を持たずして、どうして聴衆がその音に信頼を置ける

 でしょうか。演奏における主権は、奏者の耳にあります。

 その主権を放棄した演奏に、聴衆は何を聴けばよいのでしょうか。

 

耳の主権を取り戻した奏者だけが、真に「聴衆のために」弾ける

 聴衆を喜ばせたいと願うのは、演奏者の美徳です

 その願い自体は、何も間違っていません。

 

 しかし、その願いは、耳の主権を確立した後にこそ、初めて実現できるものです

 

 物理的に最も美しい響きで鳴りきる『一点』を、自分自身の耳で射抜き続ける。

 その峻厳な自己との対話の結果として生まれた響きだけが、

 ホールの隅々まで届き、聴衆の心に触れます。

 

 真に「聴衆のために」弾けるのは、まず「自分の耳のために」弾ける奏者だけです

 

 これは逆説ではありません。演奏の根本的な構造です

 

糸は、まだ切れていない

 あなたは今、この記事を読んでいます

 

 おそらく、あなたの中に「違和感」があるからです

 

 「他人の評価を基準にするのは、何かが違う気がする」

 「自分で弾いているのに、自分の音に納得できない」

 「うまく弾けた気がするのに、なぜか満たされない」

 

 その違和感こそが、蜘蛛の糸があなたの頭上に垂れている証拠です

 耳の主権が、まだ完全には奪われていない証拠です

 

 糸はまだ切れていません。

 

 意識を、楽器響きへと戻すこと

 自らの耳で『一点』を聴き分けることへと、意識を戻す。

 

 糸を掴んだ瞬間、すべては一本に収束する。

 

三部作との繋がり——地底から地表へ

 本記事は、三部作に続く第四の記事です。

 

 第一作『ヴァイオリンで「朱に交われば赤くなる」!?――あなたの「耳」を守る

 では、誤った響きに染まることの残酷さを警告しました。チューナー、ピアノによる

 音程取り、名演奏の音源の反復聴取、エチュードの網羅的な反復――これらがいかに

 あなたの耳を死へと導くかを、現実として提示しました。

 

 第二作『ヴァイオリンで「藍に交われば青くなる」!?――あなたの「耳」を育てる

 では、正しい響きの中に身を置くことで耳が蘇生していく道筋を示しました。

 「麻の中の蓬」のように、正しい環境に身を置くことで、人は自ずとその響きの色に

 育まれていくことをお伝えしました。

 

 第三作『ヴァイオリンで「橙は赤か青かの岐路に立つ」!?――あなたの「耳」の

 選択』では、なぜ人は「真実の天空の神殿」を望みながら「偽りの竜宮城」へと

 向かってしまうのか、その根本原因を解き明かしました。

 

 三部作が描いたのは、チューナー依存、エチュードの網羅的反復、「徐々に」という

 先送り――これらがいかに学習者の耳を死へと導くかという「構造の問題」でした。

「朱に交われば赤くなる」――一度染まると元には戻らない、ヴァイオリンの誤った練習が耳を染める様子を象徴した画像
「藍に交われば青くなる」――正しい響きの環境に身を置くことで、あなたの耳が本来の音色へと育まれていく様子を象徴した画像

「橙は赤か青かの岐路に立つ」――赤にも青にもまだ染まっていない、しかしどちらへも向かいうる岐路そのものを体現した色として、あなたの耳の選択を象徴した画像

          第三作・橙

          ヴァイオリンで「橙は赤か青かの岐路に立つ」!?

          ――あなたの「耳」の選択

 しかし今回の記事が問うているのは、その構造よりも、さらに根源的な問題です。

 

 「演奏の主権は誰にあるか」――練習法や指導法の問題ではありません。

 「演奏とは何か」という前提そのものの問題です

 

 三部作で描いた「偽りの竜宮城」が海底の迷宮だとすれば、

 「演奏の良否は聴衆が決める」という転倒した思想は、その「偽りの竜宮城」を

 生み出している地底の根源――演奏の「根」がすり替わった場所です

 

 地底の転倒を正さないまま、海底の迷宮から脱出しようとしても、

 また別の迷宮に迷い込むだけです

 

 演奏の主権を、奏者の耳へと取り戻すこと。それが、すべての始まりです

 

決断は、今です

 蜘蛛の糸は、今も垂れています

 

 その糸の名は、『一点』――ヴァイオリンという楽器において、物理的に

 最も美しい響きが豊かに鳴りきる、その一点です

 

 チューナーでもない。聴衆の拍手でもない。評価される自分でもない。

 あなた自身の耳で聴き分けるべき、一本の糸。

 

 糸が切れるのは、聴衆を基準に自分を決めようとした、その瞬間です

 糸を掴み続けられるのは、意識を楽器響きへと向け続ける奏者だけです

 

 当教室には、上級者、音大生、プロ奏者、指導者の方々も通われています。

(詳しくは『初心者から音大生・演奏者まで』のページをご覧ください)

 長年の経験があっても、「何かが違う」という違和感の正体――

 それが『一点』なのです。

 そして、その『一点』を峻厳に見極める訓練に立ち戻った時、

 これまでの技術が突如として一つの響きへと収束し始めます。

 

 今からでも遅くはありません。

 

 あなたの耳に、主権を取り戻してください。その決断は、今です

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