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イワモト ヴァイオリン教室のブログへようこそ。
イワモト ヴァイオリン教室では
「正しい音程」 (正確な音程)
「本格的な音色」(美しい音)でヴァイオリンを弾くための
基礎的な演奏技術を大切に指導し
一音いちおん丁寧に
各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています。
あなたの違和感は、正しい
それでも、生徒の音に何かが足りない。
生徒もまた、何年も熱心に学び続けている。
それでも、何かが違う。
その違和感は、あなたの努力が足りないからではありません。
才能の問題でも、楽器の問題でも、環境の問題でもありません。
それは、あなたの耳がまだ破壊され尽くしてしまっていない証拠です。
その耳が求めているものは何か。
『一点』とは何か
『一点』とは、音を区切る概念でも、細切れにする奏法でもありません。
ヴァイオリンという楽器の個体差を超えて全体が共鳴し、倍音が豊かに鳴りきる
それは特定の音だけに存在するものではなく、ヴァイオリンで奏でるべき
総ての音の中に普遍的に存在します。
その響きは持続音として次の音へと流れを生み、音楽に推進力を与えます。
むしろ『一点』を射抜いた響きこそが、音楽の流動を生む唯一の根拠なのです。
『一点』を射抜いた響きは、前の音から引き継いだエネルギーの流動として、
次の音へと向かい続けます。
その数値の外側に、ヴァイオリンが本当に鳴りきる瞬間があります。
ヴァイオリンの『一点』の響きは、耳によってのみ聴き分けることができます。
ヴァイオリン演奏の総てが、『一点』という一つの根拠へと収束します。
技術は個別の要素としてではなく、一つの響きの必然として統合され始めます。
どのような曲においても、どのような超絶技巧においても、
『一点』は、耳から耳へ
『一点』を峻厳に認識するように導く指導には、指導する側の圧倒的な耳の能力と、
学習者が急増し、指導の効率化が求められる時代の中で、
この指導は失われていきました。
音楽大学においてさえ、今やこの指導は行われなくなってしまいました。
アウアーからシフェルブラットへ、シフェルブラットから鷲見四郎先生へ。
その指導を傍らで見続け、歴史的名教師となったのが鷲見三郎先生です。
私はその両先生に師事し、特に四郎先生のもとでは13年にわたって研鑽を
積みました。
その四郎先生こそ、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調を演奏して
第2回も四郎先生が優勝されたため、優勝者は再度参加できない規定が
設けられたほどでした。
冒頭の「シ」の音程に存在する5種類の『一点』の弾き分けだけでも、
数時間に及ぶものでした。
「○○に師事」という一行は、プロフィールに容易に記載できます。
しかし「名前を受け取ること」と「音を受け取ること」は、別のことです。
『一点』は、文字にも、録音にも、動画にも残せません。
エチュードを何巡こなしても、たどり着けるものではありません。
誤った指導とは何か――弾き熟す(こなす)ことは、上達ではない
『一点』を知る指導者という主治医が、学習者という患者の症状を正確に診断し、
学習者に「処方」し、あらゆる音形と演奏技術において『一点』を奏でられるように
投与するものです。
にもかかわらず、エチュードを最初から最後まで順番に何巡も弾かせるという指導が
存在しますが、それは薬棚にある薬を片っ端から全部飲ませるようなものです。
そのようなことは医学ではあり得ません。
ヴァイオリンの指導においても、決してあってはならないことです。
『一点』を外したまま弾き続けると、左手は響きの悪い音程に固まり、
右手は鳴らない音を鳴らそうとして無用な力を帯びていきます。
その力は身体への負担となり、やがて不調を招きます。
そしてこれは、エチュードだけの問題ではありません。
スケールでも、楽曲でも――ヴァイオリン演奏の総てにおいて起きていることです。
いずれも、『一点』を峻厳に聴き分けさせることなく、混濁した響きを身体に
誤りの定着と継承
誤った指導により、生徒は「沢山弾いた」「何冊も終わった」という達成感だけを
そしてその繰り返しを毎週目の前にする指導者の耳もまた、知らず知らずのうちに
混濁を許容してしまい、やがてそのことに気づかなくなってしまいます。
混濁した響きで弾き熟し弾き散らかすことは、耳を破壊する「作業」です。
『一点』を射抜いた美しい響きこそが、ヴァイオリンの「演奏」です。
さらに深刻なのは、既に耳が破壊されてしまった指導者ほど、
『一点』を聴き分ける能力を失った耳は、些末な変化に翻弄されます。
しかしその翻弄を、微細な変化を聴き分けられる能力だと誤解するのです。
楽器をああでもない、こうでもないと弄り回し、その変化に一喜一憂しますが、
それはヴァイオリンの美しい音色を探しているのではありません。
ヴァイオリンの真に美しい音色は、『一点』を踏まえた響きの中にこそあるのです。
ともに気づかないまま、破壊され続けていきます。
熱心さが、耳を塞ぐ
ヴァイオリンにおける『一点』を教えられたこともなければ、学んだこともない
指導者による、チューナーで音程を管理し、エチュードを全曲順番に弾き通させる
では、なぜ続くのか。
なぜ、気づかないのか。
その答えは、実は意外なものです。
熱心だから、です。
これは逆説ではありません。
熱心さそのものが、問題から遠ざかる方向への燃料になっているのです。
共通して見られる三つの逃げ道があります。
そしていずれも、熱心であればあるほど、その逃げ道への依存は深まります。
第一の逃げ道――文字情報への依存
『一点』を聴き分けられない者は、聴けないほどに文字情報へと向かいます。
聴き分けられない自分でも納得できる情報、すなわち常識的な記述を、
根拠として求めるのです。
しかし常識とは、その社会や集団における最大公約数的な認識でしかありません。
現代においてすでに教えられることのなくなってしまった『一点』に、
常識は辿り着きません。
熱心に調べるほど、文字情報の蓄積は増す。
しかしその蓄積は、聴けないという事実をより一層覆い隠していくだけです。
第二の逃げ道――自己研鑽による否定
自らが歩んできた研鑽の日々に自負があればあるほど、
自らが受けてきたレッスンこそが正しくかつ総てである、という確信は深まります。
そして自分では聴き分けられない内容、すなわち自分では理解できない内容は、
受け入れられないだけでなく、これまでの研鑽で培ったあらゆる知識を総動員して
否定します。
熱心に積み重ねてきた者ほど、その反発は頑なになります。
否定の言葉は流暢になり、確信に満ちた顔をします。
しかしその流暢さと確信は、
聴けないという事実を直視していない証でしかありません。
第三の逃げ道――多様性への埋没
個人が自由に情報を発信し検索できるインターネット社会において、
『一点』を峻厳に聴き分けるという考え方もまた、多様な考え方のひとつに過ぎない
と捉えられます。
結果として、多様な情報の洪水の中に埋没してしまいます。
熱心に情報を集めるほど、その埋没は加速します。
「色々な考え方がある」という寛容な姿勢が、『一点』という絶対的な基準から
目を逸らすためのもっともらしい理由になるのです。
三つの逃げ道に共通していること
文字情報への依存。
自己研鑽による否定。
多様性への埋没。
これらに共通しているのは、「聴けない」という事実から
目を背けるための、静かな自己正当化です。
そしてその逃げ道への依存は、熱心であるほど、
より深く、より強固になっていきます。
これが、誠実という名の耳栓です。
基準を持たない耳は、疑えない
ヴァイオリンが美しい響きで「鳴りきっている」という状態は存在しません。
存在しないのだから、比べようがない。
比べようがないのだから、自分が聴けていないとは思えない。
『一点』を聴き分けられない世界の中で起きる些末な変化――
圧力のわずかな違い、指の角度のぶれ、音の揺らぎ――
楽器を弄り回しながらそれらを捉えることを、彼らは耳の能力だと誤解します。
そしてその誤解は、熱心であるほど深まります。
熱心に弾くほど、熱心に教えるほど、その誤解は確信へと変わっていきます。
そのため、絶対的な基準を持たない耳は、自らが濁りの中にいることすら
気づけないのです。
それでも、気づく者がいる
しかしその熱心さが、誤った方向へ向かい続けてきたのです。
音楽大学においてさえ、今や『一点』は教えられていません。
自らが習わなかったからこそ、指導できない。その生徒がまた次の指導者になる。
誰も疑わないまま、誤りは継承されていく。
誠実さが、誠実を誤った方向へ引き継いでいく。
それでも、気づく者がいます。
長年指導を続けながら、何かが違うという感覚を拭えずにいた指導者。
熱心に学び続けながら、違和感を抱えながら歳月を重ねてきた学習者。
文字情報では満たされない渇き。
学習歴では埋められない空白。
多様な情報の中で、却って孤立していく違和感。
その違和感を手放さないでください。それが、『一点』への入り口です。
当教室には、趣味で学ばれる方から、音大生、プロ奏者、指導者(ヴァイオリンの
先生)まで通われています。
(詳しくは『初心者から音大生・演奏者まで』のページをご覧ください)
指導者が他の教室に習いに行くことは、通常ありません。
それでも来るのは、ここでしか得られないものがあるからです。
熱心であるほど、気づきにくい。
決断は、今です。
東京都狛江市にある美しい音色・正しい音程・伝統の奏法重視の
「イワモト ヴァイオリン教室」
住所(狛江教室):〒201-0003 東京都狛江市和泉本町2-31-4メイプルビル301
営業時間 :10:30~23:30(日・月・水・木・土)
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カテゴリ: 究極のヴァイオリン奏法
