長く弾いたほど、選べない――ヴァイオリンの同名異音

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 イワモト ヴァイオリン教室では
 「正しい音程」 (正確音程
 「本格的な音色」(美しい音)でヴァイオリンを弾くための
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 各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています

ヴァイオリンの弦を押さえる左手――音程が生まれる場所

音程は、演奏技術の一つに過ぎないのか

 ヴァイオリン演奏技術は多岐にわたりますが、一般には、

 左手: 音程ポジション移動ビブラート

 右手: 音色・音量・各種ボウイング技術

 リズム:拍感・テンポ・左手右手の協調

 表現: 強弱・フレージング・アーティキュレーション

 といった個別の技術項目に分類して捉えられています

 

 そのように技術が個別の項目として分類され、そう認識されていることから、

 「音程」もまたそのひとつとされ、演奏技術の習熟に応じて徐々に改善していくもの

 と捉えられ、そのように指導されています

 

 そして音程」とは、演奏の数、個性の数だけあり、

 勘と経験のなかで定まり、身につけるものだと、

 考えられるようになってしまいました。

 

 その結果、まずは様々演奏技術次々と教えられ、学ばれるようになります。

 そして音程確認するには、チューナーで測ってみるとされ、

 チューナーだけではなくピアノで音を取らせてみたり、

 録音を聴いたりすることも行われるようになりました。

 

 そして次々エチュードを弾き通し弾き熟す(こなす)こと上達だとされ、

 そうした弾き通しを熱心に繰り返すことこそが練習だと考えられ、

 そうして達者に弾けるようになった者が音楽大学に進学し、

 プロ演奏者指導者ヴァイオリンの先生)となっていきました。

 

 しかし、その人たちに音程を教える者は、もはやいません。

 教えないのではありません。教えられないのです

 ヴァイオリン本来音程の取り方を知る者が、もはや誰もいないからです

 

 はたして、本当に「音程」は、

 ヴァイオリン様々演奏技術のひとつにすぎないのでしょうか。

 さらに、本当に「音程」は、

 弾き通し弾き熟すことよって徐々によくなっていくのでしょうか。

 

『一点』とは、何か

 そもそもヴァイオリンにおける音程とは本来何であるのか。

 それについては、ヴァイオリン響きそのものから考えなければなりません。

 

 ヴァイオリン響きの中には、その音が最も豊かに成立する『一点』があります。

 そしてヴァイオリン本来音程とは、この『一点』を射抜くことで成立するもの

 なのです

 

 『一点』とは、音を区切る概念でも、細切れにする奏法でもありません。

 ヴァイオリンという楽器の個体差を超えて全体が共鳴し、

 倍音が豊かに鳴りきる、美しい響きの成立点です

 それは特定の音だけに存在するものではなく

 ヴァイオリン奏でるべき総ての音の中に普遍的に存在します。

 

 『一点』は、気分や精神論ではありません。

 楽器全体が共鳴しているか、倍音が鳴りきっているか――

 それは主観ではなく響きそのものに存在する物理的な事実です

 『一点』を射抜いた響きは持続音として次の音へと流れを生み、

 音楽に推進力を与えます。外した音は濁り、その流れを失います

 

 ここで、二つの誤解を、正面から解いておかなければなりません。

 

 一つは、『一点』という言葉から、音を短く切ること、点のように鋭く弾くことを、

 思い浮かべるかもしれません。

 

 しかし『一点』とは、時間の上の一点ではありません。

 その音が、最も豊かに鳴りきる、響きの成立点です

 点で射抜かれた音は、切れるのではなく、伸びるのです

 鳴りきった響きだけが、次の音へと流れていくのです

 

 力で貫くのでもありません。

 力めば、楽器は鳴りません。

 『一点』を射抜いた響きの中で、ヴァイオリンは自然に、豊かに鳴りきります。

 

 もう一つは、正しい音程でも、音そのものが乏しくては仕方がない、

 という考え方があります。

 まず豊かな音があり、その次に、音程だ、と。

 

 しかし、正しい音程が、乏しい音であることは、ありえません。

 正しい音程とは、楽器全体が最も豊かに鳴りきった、その響きことだからです

 乏しい音や濁りのある音であれば、それはヴァイオリン本来音程ではないのです

 

 ヴァイオリンにおいて音色音程は、別のものではありません。

 ヴァイオリン正しい音程と美しい音色は同時に成立します。

 ヴァイオリンの真に美しい音色は、『一点』響きの中にこそあるのです

 

 ですから、美しい音を取ってから、音程を合わせるのではありません。

 音程を合わせることが、美しい音取ることです

 同じ一つのことを、二つの名前で呼んでいるに過ぎません。

 

 今この音が『一点』を射抜いているか、外しているか。

 中間はありません。0か100かです

 指導の流儀は、様々あるでしょう。

 しかし、ヴァイオリンが鳴りきっているかどうかに、流儀はありません。

 答えを出すのは、楽器です

 

 冒頭に掲げた、あの技術項目。

 左手音程も、右手音色も、ポジション移動も、ビブラートも、

 弓の速度も、圧力も、弓と駒との距離も、左手も――

 そのいずれを用いるときも、『一点』を射抜いているかどうかによって

 それらの技術確実習得され、急速に上達するのです

 

同じ音符が、同じ音とは限らない

 同じ音符であれば、いつも同じ場所を押さえればよい――

 多くの人は、そう考えます。

 その音符を左指で押さえるべき正しい場所は一つに決まっていて、

 あとはそこを、外すか、外さないか、という問題だと捉えています

 

 しかし、実は、そうではありません。

 その音符においてもっとも豊かに鳴りきる場所は、

 一つではなく、複数存在するのです

 ですから、いつも同じ場所を押さえればよい、というものではありません。

 

 つまり、同じ音符が、常に同じ音になるわけではないのです

 

 同じ音符の中に、鳴りきる場所が複数ある。

 では、そのどれを射抜くのか。

 

 それは、その音が置かれた音楽によって、変わります。

 

 旋律の中の単音であれば、前後にどの音が鳴るかによって

 射抜くべき場所は変わります。

 一つ手前の音が違えば、次に来る音が違えば、

 同じ音符でも、選ぶ場所は別の場所になります。

 

 重音であれば、同時に鳴る音との共鳴によって

 前後の旋律とは相容れない場所が、選ばれることもあります。

 

 開放弦と同名の音でさえ、

 開放弦の共鳴による場所が、常に選ばれるとは限りません。

 

 ここで、決定的な分かれ道があります。

 

 同じ音符でも、音楽によって場所が変わる。

 この事実から、こう考える者がいます

 ならば音程は、前後に応じて自由に、任意に微調整するものだ、と。

 そして、こう続けます。

 正しい音程などというものは、存在しない、と。

 

 確かに、場所は変わります。しかし、任意にではありません。

 

 変わった先の、その場所で、

 楽器が最も豊かに鳴りきるか、鳴りきらないか。

 それは、演奏者が決めることではありません。

 楽器が、答えを出します。

 

 自由に微調整できてしまえるのは、どこで鳴りきるかを、聴いていないからです

 聴いていれば、その場所は、一つに定まっています

 外せば、濁る。射抜けば、鳴りきる。

 そこに、任意の幅はありません。

 

 正しい音程が存在しないのではありません。

 正しい音程が、聴こえていないです

 

 音楽には、「異名同音」という語があります。

 名が違っても同じ音として扱う、その事態を指す語です

 ところが、その対を指す語は、ありません。

 名が同じでも、音は違う。その事実には、名前がなかったのです

 名がなければ、その事実は、無いことにされてしまいます

 

 ですから、ここで私は、これを「同名異音」と呼びます。

 同じ名を持ちながら、同じ音ではないということです

 

 誤解のないように申し上げます。

 『一点』が動くのではありません。

 『一点』は、その音符の中に、複数、在り続けています

 変わるのは、そのどれを射抜くべきか、なのです

 

 確かに、同じ音符でも、音楽の流れによって射抜くべき『一点』は変わります。

 しかし、それは任意に選ぶことではありません。

 その時、その音楽において、射抜くべき『一点』は一つなのです

 

耳から耳へ受け継がれてきた響き

 アウアーからシフェルブラットへ、シフェルブラットから鷲見四郎先生へ。

 世界的名教師の系譜の中で、耳から耳へと継承されてきた響きです。

 その指導を傍らで見続け、歴史的名教師となったのが鷲見三郎先生です。

 私はその両先生に師事し、特に四郎先生のもとでは

 13年にわたって研鑽を積みました。

 

 その四郎先生こそ、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏ホ短調を演奏して

 日本音楽コンクール初代優勝を果たされた方です

 第2回も四郎先生が優勝されたため、優勝者は再度参加できない規定が

 設けられたほどでした。

 

 四郎先生のもとでの指導は、そのメンデルスゾーンの協奏

 冒頭の「シ」の音程に存在する5種類の『一点』の弾き分けだけでも、

 数時間に及ぶものでした。

 

 たった一つの音ですの、最初の音です

 その一音の中に、『一点』が5種類ありました。

 そしてその5種類は、任意に選べるものではありませんでした。

 

 同じ「シ」という名を持ちながら、その音楽の中で射抜くべき『一点』が異なる。

 これもまた、「同名異音」の一例です。

 

 その後に師事した、メニューインシェリングスターン――

 世界的な巨匠たちの取り組みもまた、この『一点』に貫かれていました。

 『一点』は、一人の教師の流儀ではありません。

 物理現象に、流儀はないのです

 

 「○○に師事」という一行は、プロフィールに容易に記載できます。

 しかし「名前を受け取ること」と「音を受け取ること」は、別のことです

 

個性は、どこに宿るのか

 ここで、冒頭に述べたもう一つの考え方に戻ります。

 

 音程は、演奏者の数だけあり、個性の数だけある。

 勘と経験によって定まるものである。

 ――そう考えられてきました。

 

 この考え方には、一つ、正しい部分があります。

 同じ音符であっても、音楽の流れによって

 選ぶべき『一点』は変わります。

 

 しかし、決定的に違うところがあります。

 その選択は、自由に作り出すものではありません。

 選ぶべき場所は任意に存在するのではなく

 その音符の中に存在する複数の『一点』の中にあります。

 

 外した音を、個性と呼ぶことはできません。

 濁り、響きを失い、音楽の流れを止めるものは、

 個性でもなく、ただ外れているだけです

 

 個性が現れるのは、複数の『一点』の中から、

 今この音楽において射抜くべきものを選ぶ瞬間です

 

 『一点』を知らなければ、選ぶことはできません。

 選ぶべきものが、捉えられていないからです

 

 正しい音程を深く理解し、その中で選び取るところにこそ、

 演奏者の個性が現れるのです

 

耳は、こうして壊れる

 チューナーの数値を見続けると、何が起こるのでしょうか。

 

 耳が、『一点』を捉えられるようになる道が、閉ざされていきます。

 もともと捉えていたものを、失うのではありません。

 まだ一度も捉えていないものを、これから捉える、

 その可能性が、断たれていくのです

 捉えられなければ、選ぶこともできません。

 

 これが、耳の破壊です

 

 耳の破壊とは、聞こえなくなることではありません。

 まず、ヴァイオリンが豊かに響く『一点』を聴き分けられなくなることです

 そして同時に、同じ音符の中に複数存在する『一点』も、聴き分けられなくなる

 ことです

 

 チューナーは、一つの音に対して、一つの数値を示すだけです

 その高低を針で読み取る機種でも、複数の値を示せる機種でも、

 示しているものは、周波数という一つの数値です

 

 その結果、ヴァイオリン奏でるべき、同じ音符の中に存在する複数の『一点』は、

 耳の中で一つに潰されていきます。

 正確さを求めるほどに、深く潰れていくのです

 

 「同名異音」を区別できない道具を、精密とは呼べません。

 耳のほうが、はるかに精密なのです

 

 チューナーを見るとき、耳は聴くことをしていません。

 数値を追うほどに、耳は響きそのものから離れ、

 『一点』を聴き分ける力を失っていくのです

 

 ピアノもまた、同じです

 

 ピアノには、ヴァイオリンのような『一点』はありません。

 同じ鍵盤は、いつも同じ音を出します。

 

 「同名異音」を持たない楽器から、ヴァイオリン音程を学ぶこと

 できないのです

 

「勘と経験」という、さらなる耳の破壊

 では、チューナーピアノも使わず、勘と経験で取ればよいのでしょうか。

 

 これもまた、耳を破壊します。

 勘と経験では、そもそも耳が、育ちません。

 

 「勘と経験」と呼ばれるものにも、二つの側面があります。

 過去に覚えた指の位置の記憶と、その場の感覚による音程調整です

 

 しかし、どちらも、いま鳴っているヴァイオリン響きを聴き、

 『一点』を選び取った結果ではありません。

 

 「勘と経験」だけに頼ることもまた、

 ヴァイオリン響き聴く耳を育てることとは異なるのです

 

弾き通しは、「同名異音」を均す

 弾き通しもまた、同じです

 

 エチュードを、端から端まで、何巡も弾き通す。

 そのとき、同じ音符が、何百回も通過していきます。

 

 通過していくだけです

 その一音が、いま、どの音楽の中に置かれ、どの『一点』を射抜くべきなのか。

 それを聴き分ける時間は、そこにはありません。

 

 同じ音符が、何百回も、聴き分けられないまま通り過ぎる。

 すると、その音符は、一つのに均されていきます。

 前後がどう変わっても、同じ場所を押さえる指が、できあがってしまうのです

 

 これが、均すということです

 

 同じ音符の中に、複数の『一点』が存在する。

 その事実そのものが、耳から消えていきます。

 聴き分ける必要が、なくなってしまったのです

 聴き分けることが、できなくなってしまったのです

 

 なお、まず弾き通してから直せばよい、という考え方があります。

 これは、直すのが遅い、という話ではありません。

 

 直すまでの間も、その音符は、鳴り続けています

 外したまま、何十回も、何百回も。

 その一音いちおんが、複数の『一点』を、一つずつ、耳から消していきます。

 

 直そうとしたときには、選ぶべきものが、もうわからなくなっているのです

 後で直すとは、先に耳を壊せ、ということに他なりません。

 

 では、エチュードとは、本来、何なのでしょうか。

 

 エチュードとは本来様々な音や状況のなかにあってもなお、

 一音いちおんの中に『一点』を峻厳に聴き分け、

 弾き示せるようにするための教材です

 いわば「薬」です

 

 『一点』を知る指導者という主治医が、学習者という患者の症状を正確に診断し、

 あらゆる音演奏技術において『一点』を奏でられるよう、

 その時点で必要な課題だけを「処方」するものです

 ある患者に必要な薬が、別の患者には毒となることも、当然あります。

 

 ところが、最初から最後まで順番に、何巡も弾かせる。

 それは薬棚にある薬を、片っ端から全部飲ませるようなものです

 そのようなことは医学ではあり得ません。

 ヴァイオリン指導においても、決してあってはならないことです

 

 しかし、ここで問わなければなりません。

 なぜ、そのような指導になってしまうのでしょうか。

 

 処方するには、診断が要ります。診断には、耳が要ります。

 どの音符が、どの『一点』を外しているのか。

 均された耳には、それがわからないのです

 わからなければ、選べない。選べなければ、全部やらせるほかありません。

 

 そもそも『一点』を知らず、教わることできていない指導者は、

 同じ音符の中に選ぶべき『一点』があることなど、思いもよらないのです

 ですから、端から端まで弾かせるほかありません。

 

 なかには、指摘しない指導者います

 

 しかし、どの音符が、どの『一点』を外しているのか、

 それが聴こえていれば、指摘せずにはいられないはずです

 指摘しないのではなく、聴こえないから、指摘できないのです

 

最も長く弾いた者が、最も深く壊れている

 チューナーに合わせた一音いちおん

 エチュードを弾き通した、その総て。

 その一音いちおんごとに、聴き分ける力は少しずつ破壊されていきます。

 そして、一度失われた聴き分ける力は、そのままでは戻りません。

 失われたまま、次の一音、また次の一音と、積み重なっていくのです

 

 ですから、長く弾いた者ほど、射抜くべき『一点』を選べなくなっていきます。

 同じ音符の中に存在する複数の『一点』を、聴き分ける力を失っていくからです

 より長く弾いてきた者ほど、より深く、その力を失っているのです

 

 では、なぜ誰も、そうした耳の破壊を途中で止めないのでしょうか。

 

 そもそも、誰も『一点』に気づいていないからです

 気づいていないですから、止めようがありません。

 

 そればかりか、均された音程は、褒められます。

 ぶれず、いつも同じ場所で弾ける――人は、それを褒めるのです

 しかし、その同じ場所が、射抜くべき『一点』とは限りません。

 射抜くべき場所を外したまま、同じ場所で弾き続ける。

 それこそが、耳の破壊を招いているのです

 気づかないまま褒められ、気づけないまま、失っていくのです

 

 同じ音符が、前後を問わず、いつも同じ場所で鳴る。

 それは、安定ではありません。

 選べる場所が、一つしか見いだせないのです

 

 ですから、初心者は、まだ耳を壊されていません。

 むしろ、音大生が、プロ奏者が、そして指導者ヴァイオリン先生)こそが、

 最も深く耳を壊されているのです

 

 しかし、耳が壊れた者ほど、

 耳が壊れているとは思っていません。

 

 『一点』を聴き分ける力を失った耳は、些末な変化に翻弄されます。

 圧力のわずかな違い、指の角度のぶれ、音の揺らぎ。

 楽器を弄り回しながらそれを捉えることを、聴き分ける力だと、誤解するのです

 

 パガニーニを弾ける者が、イザイを奏でられる者が、

 一つの音符の中にある複数の『一点』を、選ぶこと知らない

 それこそが、音程が初歩の問題ではないことの、何よりの証拠です

 

 音程とは、年数に比例して深くなる、最上級の問題なのです

 

『一点』を求め続けることこそが、唯一の途

 ここまで述べてきた耳の破壊の過程を、反転させます。

 

 初めてヴァイオリンを手にした、その最初の瞬間から。

 そして初心者のみならず、上級者も、音大生も、プロ奏者も、

 指導者ヴァイオリン先生)も。

 常に『一点』を峻厳に峻別し、それを踏まえた響きを奏でようとすること

 それこそが、ヴァイオリン演奏の総てなのです

 

 そのとき、音程はよくなり、音色は美しくなり、

 ビブラートは豊かになり、ポジション移動確実になり、

 ボウイングは安定します。

 冒頭に掲げた技術項目の総てが、

 『一点』という一つの根拠へと、収束していくのです

 

 音程音色は、別のものではありません。

 『一点』を射抜くことでこそ、

 ヴァイオリンは、最も豊かで美しい響きを奏でます。

 

 あなたが音色の問題だと思っているものは、音程です

 運弓の問題だと思っているものも、音程です

 ポジション移動が決まらないのも、ビブラートが濁るのも、音程です

 これらの技術は総て、『一点』を射抜くために存在しています

 ですから、『一点』を射抜けない者は、これらを、

 別々の問題として抱え続けるほかないのです

 

 もまた、同じです

 

 指や手のを正し、運指や運弓を整えれば、

 音程が正しくなる――そうではありません。

 それは、結果として現れるを、表面だけなぞったものです

 

 順序は、逆です

 『一点』響きを射抜くことが、正しい音程であり、

 その響きを求め続けるとき、

 左手運指が整い、右手の運弓が導かれ、

 ポジション移動が安定し、ビブラートが豊かになります。

 身体が、本来の動きを、取り戻すのです

 

 そして『一点』響きが流動を生み、

 フレーズが自然に連なり、音楽になります。

 濁りのない響きの中にこそ、音楽の繊細さは宿るからです

 

 だからこそ『一点』は、初歩の問題ではありません。

 ヴァイオリン演奏技術においても、音楽表現においても、

 最高度のレベルに至ることのできる唯一の基準――

 それが『一点』です

 

 私の教室学びに来られた方は、ほぼ100%、例外なく、驚かれます。

 音程直してもらうつもりで来たのに、と。

 演奏技術の総てが飛躍的に向上するばかりか、

 その音楽表現までもが、明解かつ劇的に上達するからです

 

 響き音程取ることは、

 ヴァイオリン演奏技術の総ての根幹であり、

 同時に、その技術が何のためにあるのかという、目的でもあります。

 根幹であり、目的であるからこそ、

 個別の技術が、その先の音楽と、関連づけて捉えられるのです

 

 多くの指導者ヴァイオリン先生)は、

 個別の技術を、その根幹も目的も見誤ったまま指導し、

 その先では、曖昧な芸術的表現に終始するほかありません。

 

耳は、耳からしか、育たない

 では、その『一点』は、どこから得られるのでしょうか。

 

 まず、消えたのは、『一点』ではありません。

 『一点』は物理現象です

 今も、その音符の中に、複数、在り続けています

 

 消えたのは、それを選ぶ耳なのです

 

 その耳は、得られます。

 けれども、独りでは、得られません。

 

 『一点』は、文字にも録音にも動画にも残せません。

 それは、耳から耳へとしか受け継がれないものです

 

 そして、聴き分ける耳は、聴き分ける耳によってしか育ちません。

 だからこそ、その耳を持つ者から学ぶ必要があります。

 

 メンデルスゾーンの、あの冒頭の「シ」。

 その一音の中に、5種類の『一点』を聴き分ける耳は、

 耳から耳へと受け継がれ、今も途切れることなく在ります。

 あなたの耳は、その受け継がれてきた耳からしか、育たないのです

 

 当教室には、趣味で学ばれる方から、音大生、プロ奏者、指導者(ヴァイオリンの

 先生)まで通われています。

 (詳しくは「初心者から音大生・演奏者まで」のページをご覧ください)

 指導者が他の教室に習いに行くことは、通常ありません。

 それでも来るのは、ここでしか得られないものがあるからです。

 

 長く弾いたほど、選べない。

 しかしそれは、長く弾いてきたことが無駄であったという意味ではありません。

 選べなくなっていたと気づいた、その時から、

 あなたの年月は、初めて本物響きへと向かい始めるのです

 

 あなたの個性は、まだ、そこで待っています

 射抜くべき『一点』を、あなたの耳が、初めて知る、その時を。

 

 決断は、今です。

ご希望の曜日・時間帯の空き状況は↓でも確認できます

 東京都狛江市にある美しい音色・正しい音程・伝統の奏法重視の

 「イワモト ヴァイオリン教室」

 住所(狛江教室):〒201-0003 東京都狛江市和泉本町2-31-4メイプルビル301

 営業時間    :10:30~23:30(日・月・水・木・土)

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