「違う」では、誰も上達しない――ヴァイオリン指導における真の「診断と処方」

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 イワモト ヴァイオリン教室では
 「正しい音程」 (正確音程
 「本格的な音色」(美しい音)でヴァイオリンを弾くための
 基礎的な演奏技術を大切に指導
 一音いちおん丁寧に
 各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています

医師が患者に検査結果を示しながら、画面に大きく示された『一点』を説明している様子。ヴァイオリン上達の基準を診断と処方になぞらえた図。

「違う」としか、言ってくれない

 他の教室から移って来られた方が、異口同音にこう振り返ります。

 前の先生

 「違う」とは言われた。けれども

 「違う」としか、言ってもらえなかった――と。

 

 これは、病院での診察に置き換えると、問題が明らかになります。

 体調が悪くて病院へ行き、医師に診察してもらって、

 「病気」とは言われる。けれども

 「病気」としか言ってくれない。

 これでは患者は途方に暮れてしまいます

 

 どこが、悪いのか?

 どうして、その病気になってしまったのか?

 どうすれば、治るのか?

 どうなれば、治ったといえるのか?

 

 これが、医師が患者に示す診断と治療であるといえます。

 そして、これはヴァイオリン指導でも同じです

 

 どこが、違うのか?

 どうして、そのように違ってしまったのか?

 どうすれば、直るのか?

 どうなれば、直ったといえるのか?

 

 「病気」とだけ言っておしまいにすることは、治療とは言えません。

 「違う」とだけ言っておしまいにすることも、指導とは言えません。

 

ヴァイオリン演奏の、あらゆる病の根治へ

 ヴァイオリン演奏の、あらゆる病を根治へ導く、ただ一つの基準があります。

 『一点』です

 

 『一点』とは、ヴァイオリンという楽器の個体差を超えて全体が共鳴し、

 倍音が豊かに鳴りきる、響きの成立点です

 それは開放弦と同名音だけにあるのではなく

 ヴァイオリン奏でるべき総ての音の中に、普遍的に存在します。

 

 『一点』は、気分や精神論ではありません。

 楽器全体が共鳴しているか、倍音が鳴りきっているか――

 それは主観ではなく響きそのものに存在する物理的な事実です

 そして、その響きは、耳でしか捉えられません。

 数値や記録ではなく、目の前で鳴っているヴァイオリン響きを、

 その場で聴き分けるほかないのです

 

 この『一点』は、どこから来るのか。

 アウアーからシフェルブラットへ、シフェルブラットから鷲見四郎先生へ。

 世界的名教師の系譜の中で、耳から耳へと継承されてきた響きです。

 その指導を傍らで見続け、歴史的名教師となったのが鷲見三郎先生です。

 私はその両先生に師事し、特に四郎先生のもとでは

 13年にわたって研鑽を積みました。

 

 その四郎先生は、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏ホ短調を弾いて

 日本音楽コンクールに優勝された方です

 しかも、初代の優勝に続いて二度目も制されたため、

 優勝者は再び参加できないという規定が、設けられたほどでした。

 

 四郎先生のもとでの指導は、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏ホ短調の

 冒頭の「シ」の音程に存在する5種類の『一点』の弾き分けだけでも、

 数時間に及ぶものでした。

 

 私がその後に師事した、メニューインシェリングスターン――

 世界的な巨匠たちの取り組みもまた、この『一点』に貫かれていました。

 『一点』は、一つの系譜だけのものではありません。

 真に奏でる者が、常に目指し続ける響きなのです

 

 「○○に師事」という一行は、プロフィールに容易に記載できます。

 しかし「名前を受け取ること」と「音を受け取ること」は、別のことです

 『一点』は、文字にも、録音にも、動画にも残せません。

 耳から耳への継承にしか、受け継がれないものです

 

 『一点』が奏でられたとき、それがヴァイオリンにおける「治癒」です

 病んだ音が『一点』響きを取り戻したとき、はじめて根治といえます。

 

 根治へ向かうのは、音程だけではありません。

 運弓の不具合も、運指の不具合も、『一点』を目指すことで、

 総てが根治へ向かいます

 

 ただし、治って終わりではありません。

 病が癒えた後も、経過を観察し、損なわれた力を取り戻し、

 再び病まぬよう、自ら整え続けねばなりません。

 ヴァイオリンも同じです『一点』を射抜けるようになって、

 なお、それを射抜き続けるための研鑽が、生涯にわたって続きます。

 

 その『一点』に照らして、ヴァイオリン指導本来あるべき姿を診ていきます。

 

診断――どこが、違うのか

 医師は、まず患部を特定します。

 「ここに炎症があります」などと、具体的に示す。

 

 ヴァイオリン指導も、まず「どこが違うのか」を示します。

 この音が『一点』を射抜いているか、外しているか。

 中間はありません。0か100かです

 

 『一点』を外した音は、ただ鳴っているだけの音です

 その音が『一点』を射抜いたとき、ヴァイオリンは豊かで美しく響きます。

 どこが違うのかとは、どの音が『一点』を外しているのかに他なりません。

 

原因――どうして、違うのか

 次に、医師は原因を説明します。

 

 ところがヴァイオリン先生の多くは、原因も、その先も、説明できません。

 何かが違うとは分かる。けれども、どこがどう違うのかも、

 なぜ違うのかも、説明することができないのです

 

 なぜ、説明できないのか。

 その先生自身が、『一点』を教わっていないからです

 何が正しいのかを知らなければ、何がどう違うのかも、

 なぜ違うのかも、説明できるはずがありません。

 

 幼い頃からヴァイオリンを弾き、音楽大学へ進む。

 音大の教授もまた、同じ道をたどった延長線上にいるにすぎません。

 楽器が豊かに響くかどうか、音程の根本をどう取るのか――

 その問いになると、言及されないか、根拠の示されない言葉が返るだけです

 教授自身も、その根拠を教わらず、学べないまま来たからです

 

 これは、教授個人の問題ではありません。

 音大も、音高も、音中も、同じ構造の中にあります。

 留学先でも、根本は教えられません。

 

 音楽には「不協和音」(ふきょうわおん)という言葉がありますが、

 それらはまさに「不教我音」(ふきょうわおん)なのです

 ヴァイオリン音程の取り方を教わっていない(不教)人たちが、

 自分の経験に基づく持論を述べている(我音)に過ぎないのです

 

 『一点』を教わっていないから、何が正しいのかを知らない

 何が正しいのかを知らないから、なぜ違うのかを説明できない。

 だから、「違う」としか言えないのです

 たとえ理由を語っても、それは持論でしかないのです

 

処置――どうすれば、直るのか

 医師は、処置を施します。

 何が正しい治療かを見極めて、はじめて正しく処置できる。

 見極めを誤れば、その処置は、かえって患者を害します。

 

 ヴァイオリンも同じです

 正しい場所に左指を置け、正しい方法右手を動かせと言われます。

 しかし、何が正しいかを示されなければ、

 生徒は正解を求めてさまようほかありません。

 無意味な動きまで、正しいと信じて身につけてしまいます

 

 何が正しいかが分かれば、まっすぐ正解へ向かえます。

 その正しさとは、『一点』響きが得られるか否か、ただそれだけです

 

 ところが、その『一点』知らない指導では、

 処置が逆に害となります。

 

 録音を聴かせたり、ピアノで音を取らせたり、チューナーを使わせる。

 しかし、録音は技術の限界ゆえに、『一点』を収録できません。

 ピアノヴァイオリン響きではないため、『一点』を示せません。

 そしてチューナーは、ヴァイオリン響きそのものを捉えられません。

 チューナー音程を測ること自体が、ヴァイオリン響きを捨てることです

 チューナーの針を見るとき、耳は働いていません。

 使うほどに、耳は破壊されていきます。

 

正しさを示せぬ者が、チューナーに縋る

 そもそも、なぜチューナーが、これほど蔓延してしまったのか。

 それは、何をもって直ったといえるかを、示せないからです

 

 目ではなく耳を使え、と説く指導者います

 けれども、耳を使った先で何が正解かを示せなければ、 

 否定したはずのチューナーに、生徒をまた頼らせるしかないのです

 

 治癒を示せない指導者が、数値という偽の基準に縋った。

 その数値を読んでいることが耳を破壊すると、知らないままに。

 

 そして今では、倒錯が極まっています

 チューナーを否定する者、チューナーなしに正しい音程が取れると説く者を、

 オカルトのごとく見なす者まで現れてしまったのです

 

 しかし、ヴァイオリン正しい音程は、『一点』響きでしか取れません。

 その響きは、耳でしか聴き分けられません。

 チューナーに縋るほど、その耳は失われていきます。

 

正しさを示せぬ者が、エチュードを弾き通させる

 チューナーだけではありません。

 治癒を示せない指導は、もう一つの害ある処置に頼ります。

 エチュードを、最初から最後まで何巡も弾き通させることです

 

 エチュードとは本来様々な音や状況のなかにあってもなお、

 一音いちおんの中に『一点』を、峻厳に聴き分け弾き示せるようにするための

 教材です

 いわば「薬」です

 

 『一点』を知る指導者という主治医が、学習者という患者の症状を診断し、

 あらゆる音演奏技術において『一点』を奏でられるよう、

 課題を選んで処方し、その課題で処置していくものです

 ある患者に必要な薬が、別の患者には毒となることも、当然あります。

 

 ところが最初から最後まで順番に、何巡も弾かせる指導があります。

 それは、薬棚にある薬を、片っ端から全部飲ませるようなものです

 そのようなことは、医学ではあり得ません。

 ヴァイオリン指導においても、決してあってはならないことです

 

 『一点』を射抜いたかどうかではなく、何巡したかを問う。

 そのとき、エチュードは薬ではなく、耳を破壊する毒になります。

 

 弾き熟す(こなす)ことを、上達だと勘違いさせる。

 しかし、濁った音を何百回さらっても、濁りが刻み込まれるだけです

 熟した回数は、上達の証には、なりません。

 

 まず弾き通してから、音程を後で直す。

 これもまた、誤りです

 誤った音程は繰り返すほど脳と身体に刻み込まれ、

 刻み込まれるほど修正は困難になります。

 

 処置が害となれば、患者は治りません。

 どうすれば直るのか――それは、一音いちおん

 『一点』を求めることに他なりません。

 

その音は、奏者の身体と耳を壊す

 『一点』を外したまま弾き続けると、どうなるのか。

 

 『一点』を外した音は、濁ります。その濁った音のまま弾き続けると

 左手は、響き悪い音程に固まります。

 右手は、鳴らない音を鳴らそうとして、無用な力を帯びていきます。

 その力は身体への負担となり、やがて不調を招きます。

 

 壊れるのは、身体だけではありません。

 混濁した響きを、生徒の耳が「正解」として受け入れてしまえば、

 その誤りは身体に刻み込まれ、修正には何倍もの労力を要します。

 

 『一点』を聴き分ける力を失った耳は、些末な変化に翻弄されます。

 圧力のわずかな違い、指の角度のぶれ、音の揺らぎ――

 楽器を弄り回しながらそれを捉えることを、

 聴き分ける力だと誤解するのです

 

 楽器を操作し、弄り回し、些末な変化を追いかける。

 その耳には、『一点』は永遠に聴こえません。

 混濁した響きのまま弾き散らかすのは「作業」であって、

 ヴァイオリン本来の美しい響きによる「演奏」ではありません。

 

 そして恐ろしいことに、壊れるのは生徒の耳だけではありません。

 その指導者の耳もまた破壊され、

 混濁した響きの中にいることにさえ、気づけなくなります。

 

治癒――どうなれば、直ったといえるのか

 そして医師は、最後に治癒を見定めます。

 どうなれば、直ったといえるのか。

 「検査結果がこの状態になれば、治ったと判断できます」と。

 

 ヴァイオリンにおける治癒とは、冒頭に示した『一点』です

 一音いちおん『一点』を射抜き、楽器が豊かに響く。

 そのとき初めて、直ったといえます。

 

 ここで、こう思う人がいるかもしれません。

 音程は難しいから、まずは美しい音を。音程は、追々で構わない、と。

 

 しかし、ヴァイオリンにおいて、音色音程は、別のものではありません。

 ヴァイオリン正しい音程と美しい音色は、同時に成立します。

 ヴァイオリンの真に美しい音色は、『一点』響きの中にこそあるのです

 

 『一点』を外した音は、どれほど音色を磨こうとしても、濁ったままです

 いくら弾き通せていても、いくら徐々に改善しようとしていても、

 一音いちおんが濁っているなら、全く弾けていないことに等しいのです

 

 音程は直ったが、音色はまだ――それは、治っていません。

 音色は良くても、音程がまだ――これも、治っていません。

 音程音色が一つに溶け合い、『一点』が射抜かれたとき。

 それが、直ったということです

 

音程は、初歩ではありません

 音程の問題は、初歩と思われがちです

 しかし、ヴァイオリンは、音程こそが総てです

 

 そして、その正しい音程を、美しく豊かな響きで実現する。

 それが『一点』です

 

 これは、初歩の問題ではありません。

 趣味で学ぶ方から、音大生プロ奏者、指導者まで、

 あらゆるレベルの奏者にとって、上達のための万能薬にして特効薬なのです

 

 『一点』を得たとき、音程だけが整うのではありません。

 運弓、運指、ポジション移動、ビブラート、音楽表現――

 ヴァイオリン演奏の総てが、『一点』という一つの根拠へと

 収束し、統合されていきます。

 どのようなにおいても、どのような超絶技巧においても、

 『一点』を知る者の演奏は、本物響きとして成立するのです

 

 だからこそ、指導者までもが、この教室学びに来ます。

 指導者が他の教室に習いに行くことは、通常ありません。

 それでも来るのは、ここでしか得られないものがあるからです。

 (詳しくは『初心者から音大生・演奏者まで』のページをご覧ください)

 

最後に問われるのは、先生の耳

 どこが違うのか。

 どうして違うのか。

 どうすれば直るのか。

 どうなれば直ったといえるのか。

 この四つを示してこそ、指導です

 

 「違う」とだけ言うのは、「病気ですね」で終える医師と同じです

 その先が言えないのは、『一点』を教わっていないからです

 

 そして、この四つを示せない指導者ほど、チューナーに頼り、ただ弾き通させます。

 何をもって直ったかを示せないから、数値に縋るしかない。

 どうすれば直るかを示せないから、ただ弾き通させるしかない。

 その指導者もまた、そう教わり、本来のやり方を学べていないからなのです

 

 今、広く正しいと信じられている、チューナーと弾き通しこそが、

 実は直った状態を示せない指導の、なれの果てなのです

 

 けれども、医師の比喩を借りても、最後に問われるのは、

 数値でも、弾き通した回数でもありません。先生の耳、

 つまり、『一点』を知る耳を持っているかどうかです

 

 ですから、ただ先生に就けばよいのではありません。

 『一点』を射抜いた響きを、画面越しではなく、その場で聴かせ、

 あなたの音が射抜いているか外しているかを、

 その場で聴き分けてくれる先生

 その耳を持つ先生の前でしか、『一点』は伝わりません。

 

 そして、破壊された耳も、『一点』を射抜いた響きを繰り返し聴くことで、

 再び聴き分ける力を取り戻していきます。

 

 あなたは、「違う」としか言われずに、ここまで来たのではありませんか。

 その連鎖を断てるのは、『一点』を学んだ者だけです

 

 決断は、今です。

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