「滑り台」と「階段」?――ヴァイオリンに潜む、響きの真実

モバイルでは端末を横長にしてご覧ください)

(iPhoneなどで端末を横長にして画面の左側にブックマークなどの表示が出る場合は

  画面最上部のアドレスバーの左側の青くなっているブック(本)のマークのアイコンをクリックすると消えます)

 イワモト ヴァイオリン教室のブログへようこそ。

 イワモト ヴァイオリン教室では
 「正しい音程」 (正確音程
 「本格的な音色」(美しい音)でヴァイオリンを弾くための
 基礎的な演奏技術を大切に指導
 一音いちおん丁寧に
 各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています

線路の終端に立つ車止めと停止標識――「滑り台」型のヴァイオリンの音程認識が行き止まりになることを象徴する

その考え――本当にそうでしょうか?

 「ヴァイオリン音程について、あなたはどう考えていますか?」

 こう問われて、少し戸惑ったとしたら、それも一つの答えです

 

 「音程よりも、音色や表現の方が大切だ」

 「音程は、勘と経験で取るものだ」

 「正確に取りたければ、チューナーを使えばいい」

 「旋律はピタゴラス、和音は純正律だ」

 「そもそも、音程について考えたことがなかった」

 

 どれか一つでも当てはまるなら、この記事は、あなたのために書かれています

 どれも別々の考えに見えますが、この五つは、実は同じ一つの背景から来ている

 のです。

 

 それは、ヴァイオリン音程に対する「無自覚」が、それぞれ言葉を変えて現れた

 ものですそしてその「無自覚」は、才能や努力の問題ではなく、ある根本的な

 「誤認」から来ています

 

フレットがないから、難しい?――逆です

 ヴァイオリンの指板には、ギターのようなフレットがありません。このことが、

 「ヴァイオリン音程取るのが難しい楽器だ」と言われる理由の一つとされて

 います

 

 しかし、これは逆です

 

 フレットがないからこそ、ヴァイオリン正しい音程が取れる楽器なのです

 

 「その通りだ」と感じたなら、すでにヴァイオリンという楽器の本質に近いところに

 います

 「どういう意味だろう」と感じたなら、その疑問はこの記事を読み終えるころには

 解消しているはずです

 

二つの認識――「滑り台」と「階段」

 ヴァイオリン音程に対する認識は、実は大きく二種類に分けられます。

 ところが今、そのうちの正しい認識は、ほとんど忘れ去られてしまっています

 

 まず、世の中で当然だと思われているのは、「滑り台」型の認識です

 

 周波数は連続して無限に存在する。フレットのないヴァイオリンの指板の上には、

 低い音から高い音まで、なめらかな斜面のように「境界のない連なり」がある。

 その斜面のどこかに「正しい音程」があり、奏者はその斜面のいずれかで、

 旋律の流れや音楽の雰囲気に合わせて、高めにしたり低めにしたりしながら

 「表現」する――。

 

 この認識のもとでは、「勘と経験で取る」という結論に陥るのも無理はありません。

 斜面のどこが正しいかは感覚で判断するしかなく、経験を積むほど精度が上がると

 考えてしまう。

 「チューナーで管理するしかない」という結論に陥るのも無理はありません。

 感覚では判断できないなら、機械に委ねればいい、と。

 「音程よりも音色や表現の方が大切だ」という言葉も、ここから生まれます。

 斜面の上のどこへ動いても「だいたい合っている」なら、あとは音色や表現で勝負

 すればいい、と。

 そして「そもそも音程について考えたことがなかった」としたら、それは「滑り台」

 の上を当然のものとして歩んできたからです。問いが生まれなかったのは、不真面目

 だからではありません。

 「滑り台」型の認識は、音程に対するあらゆる疑問を、そのまま滑り流してしまう

 構造なのです

 

 それに対して、今やほとんど知られなくなったもう一つの認識――

 「階段」型の認識があります。

 

 ヴァイオリン響きの中には、物理法則によって定まる「段」が存在します。

 その「段」は、連続した斜面の上のどこかではなく、物理法則によって定まる

 響きの凹凸として存在します。そして同じ音符であっても、「段」は複数あります。

 奏者の仕事は、その複数の「段」の中から、その時の旋律や和声の構造において

 正しいものを選び取ることです

 

 ヴァイオリン正しい音程取るのが「難しい」と言われるのは、

 「滑り台」の認識から来ています。斜面の上のどこが正しいのか、

 感覚だけでは判断できないから「難しい」。

 しかし「階段」の認識に立てば、むしろ正しい音程が取りやすいのです

 「段」は物理的に存在し、射抜いたとき楽器が鳴りきるという確信として、

 奏者の全身に伝わってくるからです

 

 フレットがないために、「段」の場所がわからないと思われがちです

 しかしそれは「段」が存在しないということではありません。

 さらには「段」はフレットのように大まかに配置されたものではないからこそ、

 旋律や和声の構造に応じて、同じ音に対しても複数存在する「段」を、耳によって

 きめ細かく選び取ることができる。

 これがヴァイオリンという楽器の、フレットなき音程選択の本質です

 

物理法則による「段」とは?

 では、その「段」の正体とは何か。

 

 ヴァイオリン響きの中には、物理法則によって決められる「響くポイント」が

 存在します。個体差を超えて楽器全体が共鳴し、倍音が豊かに響き合う複合的な

 物理現象が起きる場所――これが「段」の正体であり、『一点』です

 

 『一点』は、チューナーが測る周波数の数値で捉えられるものではありません。

 弦の振動が駒を通じて表板に伝わり、裏板・横板・魂柱・バスバーを経て楽器全体が

 一体となって鳴りきる。その複合的な共鳴現象が起きる場所が『一点』であり、

 物理的に最も美しい響きが豊かに鳴りきる点です

 

 そして『一点』を射抜いた瞬間から、音楽は動き始めます。

 その響きは、ヴァイオリンならではの持続音として紡がれ続け、次の音へと向かう

 自然な推進力を生み出します。前の音から引き継いだ響きのエネルギーが「流動」と

 なって、音楽に生命を与えます。『一点』を射抜くとは、細切れの音を出すことでは

 ありません。その響きのエネルギーを一音いちおん連続させることこそが、

 ヴァイオリンの真の響きをホールじゅうに満たす、本来奏法です

 

 逆に、『一点』を外した音には、次の音への推進力が生まれません。

 響きのエネルギーが途絶え、音楽は流動を失います。混濁した響きしか

 得られません。

 

 『一点』は、ヴァイオリンという楽器が発する生きた響きの中にのみ存在します。

 チューナー『一点』を指せません。ピアノの鍵盤は『一点』を鳴らせません。

 録音された音源からは、録音技術の限界ゆえに『一点』響きは聴こえてきません。

 『一点』を見極められるのは、その場で鳴っているヴァイオリン響き聴く

 だけです

 

「滑り台」――五つの行き止まり

 「滑り台」型の認識のもとでは、音程の問題に向き合おうとするとき、

 どこへ進んでも行き止まりです

 

 一つ目――音程よりも音色・表現が大切だという行き止まり

 「音程よりも音色や表現が大切だ」という言葉は、しばしば行き止まりの前に

 立てられている看板です

 『一点』を外した音からは、混濁した響きしか生まれません。

 その混濁した音のまま音色や表現を論じることは、土台も柱も壁も定まらぬまま、

 内装だけを整えようとする空虚な試みです。

 『一点』を射抜いたときにのみ、ヴァイオリンは本来の音色を発します。

 ヴァイオリンの真の音色音程が作るのです

 

 二つ目――勘と経験で取るという行き止まり

 「滑り台」の上をどう滑るかは奏者の自由だ、感性に合わせて高めにも低めにも

 自由に滑れる、それが表現だ――こう考えるのも、「滑り台」の認識のもとでは

 自然な発想です。しかしこの方向もまた、行き止まりです

 「どう滑っても自由」という状態は、「どこが正しいかわからない」と表裏一体

 だからです。根拠のない「自由」は、勘と経験だけが頼りの状態から、永遠に

 抜け出せません。

 

 三つ目――チューナーで管理するという行き止まり

 チューナーが測れるのは周波数、つまり音の高低という一次元の数値だけです

 「滑り台」の上のどこにいるかを示すことはできます。しかし『一点』は、

 周波数という一次元の外側にある現象です楽器全体が共鳴し、倍音が豊かに

 響き合う複合的な物理現象――それが『一点』だからです

 どの音律モードのチューナーを使っても、この問題は解決しません。

 「チューナーで合わせたのに、なぜ楽器が鳴らない」、あるいは

 「音は出ているのに、なぜか美しく響かない」という場合、その理由は

 ここにあります。チューナー『一点』を指せません。ピアノ音程を取っても、

 同じことです。ピアノの鍵盤もまた、ヴァイオリン響きの中にある『一点』

 鳴らすことはできないからです

 

 四つ目――知識を耳とする行き止まり

 「旋律はピタゴラス音律で、重音は純正律で」――こう言える方は、音程について

 真剣に考えてきた方です。しかしこの知識もまた、行き止まりになります。

 ピタゴラス音律や純正律という言葉を知ることと、実際に『一点』を耳で峻厳に

 聴き分けることは、別のことだからです。音律の名前は、地図の種類でしか

 ありません。地図の種類を知っていても、『一点』のある場所を知らなければ、

 道は歩けません。

 

 そもそも「旋律はピタゴラス、重音は純正律」とは、複数ある『一点』の中から

 正しいものを選び取った結果として、そうすることが多い、というだけなのです

 原則ではあっても、絶対ではありません。

 

 例えばバッハの無伴奏ヴァイオリンように、対位法による旋律の流れと和音の連続

 が同時に存在する作品では、開放弦の固定された音程、旋律としてのピタゴラス音律

 重音としての純正律、この三つが交錯します。どの『一点』を選ぶかは、旋律や和声

 の構造の中で、一音ごとに取捨選択と微調整が求められます。「旋律はピタゴラス、

 重音は純正律」という言葉は、複数ある『一点』の中から正しいものを選び取った

 結果として、そうなることが多いという傾向を言語化したものに過ぎません。

 その言葉を先に当てはめても、『一点』には辿り着けません。

 

 「導音は高めに取る」という考え方も同様です。これは『一点』を選んだ結果として

 導かれる知識であり、方位磁石のような役割は果たします。しかし、方位を知って

 いることと、その地点を正確に射抜くことは、全く別の次元の話です

 そしてチューナーが示す音程より何セント高め」というで数値として管理しよう

 とした瞬間、再び「滑り台」の上に戻ります。

 導音としての高めの音程もまた『一点』として耳で定められるものであって、

 数値的な操作や計算によって、その場所に立てるわけではないのです

 

 音律という分類も、導音という考え方も、本来『一点』を耳で峻厳に聴き分けた

 結果として、その響きの中に事後的に見出される「傾向」に過ぎません。

 音律や導音という考え方の前に『一点』を見極められなければ、正しい音程には

 辿り着けず美しい音色も引き出せません。知識は入口です。しかし『一点』なき

 知識は、耳の代わりにはなれません。

 

 五つ目――姿勢・手の・頭の中のイメージという行き止まり

 「正しい姿勢で」「手のを整えて」「頭の中で音程をイメージして」――これらは

 一見、音程改善への具体的なアドバイスに見えます。

 

 しかし、順序が逆です

 

 姿勢や手のを整えること『一点』に近づこうとするのではなく『一点』

 耳で求め続けた結果として、身体が自ずとその音を出すためのへと導かれる。

 正しい音程への探求が、正しい身体の使い方を引き出す。これが本来の順序です

 実際、指板を目で確認しながら弾く習慣が身についた学習者が、耳で音程を探す

 という発想そのものを持てなくなっている例は、今や珍しくありません。

 外側からを整えようとしても、その『一点』を生み出すわけではありません。

 しかし『一点』を内側から求め続けたとき、身体はその答えを知っています

 姿勢も、手のも、弓の使い方も、『一点』を求めた結果として整っていくのです

 

 頭の中でのイメージも同様です。イメージは思考の産物であり、楽器の物理現象

 ではありません。『一点』は、頭の中にあるのではなくヴァイオリン響きの中に

 あります。頭の中のイメージが『一点』になることはありません。耳で聴き、

 ヴァイオリンで確かめる以外に、『一点』を聴き分ける方法はありません。

 

「階段」には、なぜ複数の段があるのか

 サイトの『ヴァイオリンの音程の取り方』のページでも示したように、例えば

 

 

の音の場合


 正しい音程よりも、相当程度低いとあまり響かず

ヴァイオリンの音程の取り方 Fisの事例での説明図2

 

 

(音符の位置を相当低くしてイメージを表現しています


 正しい音程よりも、ある程度低くてもよく響かず

ヴァイオリンの音程の取り方 Fisの事例での説明図3

 

 

(音符の位置をある程度低くしてイメージを表現しています


 正しい音程の場合、ハッキリした音でよく響き

ヴァイオリンの音程の取り方 Fisの事例での説明図4

 正しい音程よりも、ある程度高くてもよく響かず

ヴァイオリンの音程の取り方 Fisの事例での説明図5

 

 

(音符の位置をある程度高くしてイメージを表現しています


 正しい音程よりも、相当程度高くてもよく響くポイントがある

ヴァイオリンの音程の取り方 Fisの事例での説明図6

 

 

(音符の位置を相当程度高くしてイメージを表現しています


 というように音程正しい場所は最もよく響くポイントとして確認できます。

ヴァイオリンの音程の取り方 Fisの事例での説明図7

 

 

(音符の位置を段階的に上下させてイメージを表現しています


 (なお、上掲の譜例は、音程の高低と音の響きをイメージとして、よく響くポイント

  を簡略的に示したもので、上掲以外にも響くポイントは複数あります)

 そして、『一点』は今図示したように、同じ音符でも複数存在します。

 この『一点』を核とする奏法には、明確な系譜があります。

 ヤッシャ・ハイフェッツミッシャ・エルマンナタン・ミルシテインらを育成した

 ことで知られるレオポルト・アウアー。その高弟ニコライ・シフェルブラット

 シフェルブラットに師事した鷲見四郎先生の傍らで指導を見続けることで歴史的

 名教師となったのが鷲見三郎先生であり、私(岩本浩一)は鷲見三郎・四郎両先生に

 師事し、とりわけ四郎先生のもとで13年にわたって研鑽を積みました。

 

 その四郎先生こそ、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏ホ短調を演奏して

 日本音楽コンクール初代優勝を果たされた方です。第2回も四郎先生が優勝された

 ため、優勝者は再度参加できない規定が設けられたほどでした。その四郎先生

 もとでの指導は、「シ」の音程に存在する5種類の『一点』の弾き分けだけでも、

 数時間に及ぶものでした。

 

フレットで「段」は示せません

 「それなら、フレットシールのような目印を指板に貼れば解決するのではないか」

 と思われるかもしれません。

 

 しかしそれは、『一点』の本質を見誤った発想です。同じ音符に対して『一点』

 複数存在するため、すべての『一点』をフレットで示そうとすれば、一本の弦の上に

 無数の線が必要になります。それはもはやフレットではありません。

 

 ではその「無数」は、結局「滑り台」と同じではないか、と思われるかも

 しれません。しかし違います。「滑り台」の斜面は連続しています

 一方、『一点』は物理法則によって決められる響きの凹凸です

 その峰と峰の間には、響かない谷が確かに存在します。先ほどのFisの説明図が

 示したとおりです。連続した斜面ではなく、間に谷を持つ複数の峰――それが

 『一点』の実態です

 

 フレットシールで「段」を再現できないのは、『一点』が目で見えるものではない

 からです。楽器の個体差、奏者の力加減、各部品の響き具合、そのときの温度や湿度

 ――こうした無数の響きの要因が複合して生まれる物理現象が『一点』であり、

 その瞬間その楽器響きの中にのみ存在します。指板に印を貼った瞬間、その複合的

 な物理現象には対応できません。それを峻別し続けられるのは、耳だけです

 

「開放弦との共鳴」論の、二つの見落とし

 近年、こういう指導が広まっています

 「開放弦と同じ名前の音は開放弦との共鳴で取り、

  それ以外の音はチューナー確認する」というものです

 しかしこの論には、二つの根本的な盲点があります。

 

 一つ目は、開放弦と同名の音であっても、開放弦と同じ音程を選ぶことが正解では

 ない場面があるということです

 「同名音だから開放弦との共鳴で音程を取ればいい」という論は、同じ音に対しても

 複数ある『一点』のうちの一つを唯一の答えと誤解しています

 開放弦との共鳴は、その複数ある『一点』への手がかりの一つに過ぎません。

  例えば、旋律や重音の構造によっては、開放弦の「ミ」と前が同じ音であっても、

 開放弦の「ミ」とは異なる音程の『一点』を選ばなければならない場面があります。

 (具体例については、

  『ヴァイオリンのテンプレート――あなたの演奏が変わる瞬間』をご覧ください)

 

 二つ目は、「それ以外はチューナー」という部分です。

 そもそもチューナーは、開放弦と同名の音に対しても、そうでない音に対しても、

 『一点』を指せません。

 なぜなら、チューナーが測れるのは周波数という一次元の数値だけであり、

 『一点』は周波数の外側にある複合的な物理現象だからです

 開放弦と同名でない音にも、響きの中には『一点』が物理的に存在します。

 差音重音の調和、旋律の前後関係が生む推進力――これらが『一点』を耳で

 見極めるための手がかりとなりますが、『一点』はそれよりもさらに細かく存在する

 のですチューナー音程の判断を委ねた瞬間、『一点』は見失われ、耳はその力を

 失うのです

 

 チューナーも、開放弦との共鳴も、『一点』を見極める力にはなれません。

 開放弦と同名の音であっても、開放弦とは異なる音程『一点』を選ばなければ

 ならない場面があるからです

 ヴァイオリン響きの中には、あらゆる音に対して『一点』が存在します。

 それを耳で聴き分ける力こそが、ヴァイオリン音程の取り方の本質なのです

 

なぜ今「階段」はすべて「滑り台」になってしまったのか?

 「段」を捉えさせる指導には、膨大な手間暇と、指導する側の圧倒的な耳の能力が

 必要です一音いちおんに向き合い、学習者の耳が鳴りきった響きを捉えるまで

 粘り強く付き合う。学習者の急増と指導の効率化が求められる時代に、この指導

 失われていきました。

 

 その結果、音楽大学においてさえ、ヴァイオリン本来響きを引き出す奏法

 教えられなくなっています

 音大を出ていても、プロとして活動していても、『一点』知らないまま指導者

 なる方が少なくない。

 「滑り台」の上で育ち、「滑り台」の上で指導し、「滑り台」しか知らない

 その連鎖が、世代を超えて続いています

 その結果として生まれたのが、チューナーへの絶対的な信仰です。

 歴史的かつ伝統的な『一点』を知らず、学ばず、教えられてこなかった指導者たちに

 とって、チューナーは唯一の拠り所となりました。チューナーへの依存が世代を

 超えて積み重なった結果、今やそれを疑うという発想そのものが生まれない状況に

 なっています

 

 指導者自身が「滑り台」しか知らない限り、「滑り台」の連鎖に気づく機会は

 訪れません。「階段」を知らない環境で育てば、その問い自体を持てないまま

 指導者になる。それは誠実さや熱心さとは、まったく別の問題です

 

 もしあなたが指導者ヴァイオリン先生)であるならば、今一度、自らに

 問いかけてください。「何かが違う」という違和感を、あなた自身が抱えたまま

 指導を続けていないでしょうか。その違和感が何を意味するのか――その答えは、

 次のセクションにあります。

 

どうすれば「滑り台」から「階段」に移れるのか?

 「階段」の存在は理解できたとして、長年「滑り台」の上で過ごしてきた自分に、

 その「段」が捉えられるのだろうか。

 この疑問を持った方へ、一つの事実をお伝えします。

 

 『一点』は、最初から鮮明に捉えられるものではありません。

 しかし、正しい指導のもとで一音いちおんと向き合い続けることで、

 徐々に捉えられるようになるものです

 そしてここに、「階段」という構造の、重要な性質があります。

 それは、ある『一点』を耳で捉えるごとに、次なる『一点』の輪郭が、

 より鮮明に、かつ連鎖的に見極めやすくなっていくという性質です

 

 しかしその前に、好循環を摘む三つの落とし穴を確認しておく必要があります。

 

 チューナーに頼り続ける限り、『一点』を耳で見極める力は育ちません。

 チューナーが測れるのは周波数という一次元の数値だけであり、

 『一点』はその外側にある現象だからです

 どの音律モードのチューナーを使っても、この問題は解決しません。

 

 とりあえず弾き通し、徐々に良くすればいいと考えている間も、耳にその力は

 育ちません。「だいたいでいい」という指導のもとでは、「段を捉えた」という

 確信は得られないからですそしてエチュード最初から最後まで何巡も

 弾き通させる指導のもとでも、この好循環は始まりません。

 

 エチュードとは、指導者という医師が学習者という患者の症状を正確に診断し、

 その病を治すために課題を厳選して処方する薬です。薬棚の薬を端から順番にすべて

 飲ませる医師を、あなたは信頼できるでしょうか。診断なき網羅は、学習者の集中力

 を散漫にし、一つひとつの音に対する峻厳さを失わせます。「とにかく弾き通した」

 という達成感だけが残り、気づかぬうちに『一点』を外した混濁した音を何百回と

 繰り返し脳に刻み込む。耳はやがてその力を失っていきます。

 

 これは練習ではなく、好循環の芽を摘み続ける行為です

 

 『一点』知らない指導者のもとでは、『一点』への道は開かれません。

 どのような響きの中に身を置くか。どのような指導のもとで一音いちおん

 向き合うか。それがすべての出発点です

 

 ここで、一つお伝えしなければならないことがあります。

 この記事を読んでいる今、あなたの手元にヴァイオリンがあったとしても、

 『一点』の感触はまだ存在しないはずです。それは当然のことです

 『一点』を志して臨んだ経験者でさえ、最初からその響きを明確に捉えられるわけ

 ではありません。それが正しい指導のもとで積み重ねられていくものだからです

 だからこそ、ここまでお読みいただいた方の中に、「そんなものが本当にあるのか」

 「理屈はわかるが、実感できない」という疑念が残っていたとしても、それは

 まったく正当な感想です。その疑念は、あなたの感性が鈍いのでも、理解が足りない

 のでもありません。『一点』は、それを学び知り教えられる指導者のもとで実際に

 音を出し、耳で確かめる中でのみ、少しずつ根付いていくものなのです

 

 では、その好循環はどのように始まるのか。

 

 最初は「なんとなく鳴りきった気がする」という微かな感触から始まります。

 しかしその感触を丁寧に積み重ねるうちに、「段を捉えた」という確信が育ちます。

 その確信が育つほど、次の『一点』はより明確に、より早く捉えられるように

 なります。正しい響きに耳が慣れることで、混濁した響きとの違いが鮮明になる。

 その鮮明さが、さらに次の『一点』を見極める力を育てる。

 

 このような好循環による正しい習慣の積み重ねは、あなたの耳にかけがえのない財産

 を積み上げていきます。

 一音いちおん『一点』を求め続けること

 一日いちにち、正しい響きに耳を委ねること

 それは単なる技術習得ではなく、あなたの耳が物理的真実の方向へと再構築されて

 いく過程です

 そしてある瞬間、それまで捉えられなかった「段」が、突然当たり前のものとして

 感じられるようになります。しかしそれは偶然の産物ではありません。

 偶然に訪れた響きは再現できませんが、『一点』は物理法則によって定まるもの

 であり、正しい指導のもとで一音いちおんと向き合い続けた者には、その瞬間が

 再現可能な確信として根付いていきます。

 

「段」は、耳で捉える

 『一点』を射抜いたとき、ヴァイオリンは奏者にそれを伝えます。

 美しい響きとともに楽器全体が震えるように鳴りきる感触は、「合っていそう」

 という感覚ではなく、「段を捉えた」という確信として全身に届きます。

 チューナーよりも、その確信の方がはるかに正確です

 なぜなら、チューナーは周波数という一次元しか測れないのに対し、鳴りきった

 楽器響きは、複合的な物理現象のすべてを、その瞬間に示してくれるからです

 

 「とにかく鳴らす」ことと「『一点』を射抜く」ことは、まったく別のことです

 ただ鳴らしているだけでは、混濁した響きが鳴っているに過ぎません。

 「段を捉えた」という確信を伴わない音は、いかに大きく鳴っていても、

 美しく豊かな響きが溢れでる『一点』ではないのです

 

 記事の冒頭で問いかけた「フレットがないから難しい」という誤解は、

 あなたには今はもうないはずです

 ヴァイオリンにフレットがないことは、弱点ではありません。

 「段」によって真に正しい音程を、耳が確実に捉えられるのです。 

 

 そして、その「段」という『一点』を射抜く時、ヴァイオリンからは美しい響き

 豊かに溢れ出るのです。これこそが、300年以上ヴァイオリンという楽器

 弾き継がれてきた本来奏法なのです

 

「滑り台」から「階段」へ――その一歩

 この記事を読んだ今、あなたの中の「ヴァイオリンの音程」という概念は、

 すでに変わり始めているかもしれません。

 しかしその変化を、実際の響きの中で確かめるための一歩は、

 記事を読んだだけでは踏み出せません。

 

 もし今あなたにヴァイオリン先生がいるならば、こう尋ねてみてください。

 

 「メンコン冒頭の「シ」は、5種類ある「シ」の音程のうち、どれで弾けば

 いいのですか」

 この問いへの答えの中に、その先生が「階段」を知っているかどうかが、

 明確に現れます。

 「5種類などない」「1種類だ」「考えたことがない」――そうであれば、

 その教室『一点』が教えられることは、決してありません。

 

 そして、この問いを先生に向ける前に、ぜひ自分自身にも向けてみてください。

 「自分は、ヴァイオリン音程についてこうした疑問を、これまで持ったこと

 あったのか」と。

 

 その疑問に目を向けた瞬間、「滑り台」から「階段」への一歩が、静かに始まります。

 

指導者ヴァイオリン先生)の方へ

 指導者こそが『一点』を学ぶことで、その教室に集うすべての生徒さんの耳が、

 指導者であるあなたとともに同時に育ち始めます。あなたが「階段」を知ることが、

 あなたの生徒さん全員を「滑り台」から救うことになるのです

 

 「ヴァイオリン音程を正しくすることは才能の問題」

 「チューナーを使わせながら徐々に直していくしかない」

 「弾き続けていれば、そのうち段々とよくなっていくはず」

 そうした考え方に「何かが違う」という違和感を、あなた自身が指導の現場で感じた

 ことないでしょうか。その違和感の正体こそが、『一点』です

 

 それを学ぶための一歩は、今からでも踏み出せます。

 

あなたが探し続けてきた答えが、ここにあります

 当教室には、趣味で学ばれる方から、音大生、プロ奏者、指導者

 (ヴァイオリンの先生)の方々まで通われています。

(詳しくは『初心者から音大生・演奏者まで』のページをご覧ください)

 

 長年の経験を持ちながら「何かが違う」という違和感を抱えておられる方も、

 はじめの一音から正しい道を歩みたいという志の方も、『一点』を射抜く

 ヴァイオリン本来奏法の追求の中で、自らの耳が生まれ変わる瞬間を経験されて

 います

 

 『一点』を聴き分ける耳さえ手に入れれば、運弓も、ビブラートも、表現も、

 すべては自ずと一つの響きへと収束していきます。一度その響きを耳が覚えた瞬間、

 霧が晴れるようにすべてが繋がり、昨日までの苦行が、心地よい響きの探求へと

 嘘のように変わるのです

 

 「もっと早く、この本来奏法を知りたかった」

 「これまでの何年間は、一体何だったのか」

 そう口にされる方も少なくありません。

 しかし同時に、

 「今からでも遅くない」

 「ここから本当の音楽が始まる」と、

 希望を持って学び直されています

 

 あなたが探し続けてきた答えが、ここにあります。

 

 決断は、今です。

ご希望の曜日・時間帯の空き状況は↓でも確認できます

 東京都狛江市にある美しい音色・正しい音程・伝統の奏法重視の

 「イワモト ヴァイオリン教室」

 住所(狛江教室):〒201-0003 東京都狛江市和泉本町2-31-4メイプルビル301

 営業時間    :10:30~23:30(日・月・水・木・土)

 アクセス

 生徒さんの感想(Googleへのレビュー)

線路の終端に立つ車止めと停止標識――「滑り台」型のヴァイオリンの音程認識が行き止まりになることを象徴する

各色のマークをクリックすると、関連リンクが表示されます。

【演奏の哲学】マインド・指導

(下掲のボックスでブログ(サイト)内の検索ができます)

 

 

このブログの文章・画像・その他のコンテンツを含む一切の転載をお断りいたします

 究極のヴァイオリン奏法