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イワモト ヴァイオリン教室のブログへようこそ。
イワモト ヴァイオリン教室では
「正しい音程」 (正確な音程)
「本格的な音色」(美しい音)でヴァイオリンを弾くための
基礎的な演奏技術を大切に指導し
一音いちおん丁寧に
各人の進捗に合わせた課題をレッスンしています。
ある謁見の話
ある臨月の貴族の婦人が、ナポレオンに謁見を求め、こう尋ねたと
伝えられています。
「これから生まれてくる子どもを、皇帝陛下のような立派な人間に育てるには、
どうすればよいでしょうか」と。
ナポレオンの答えは一言でした。
「手遅れです」
婦人は驚き、重ねて尋ねます。
「これから生まれてくる子どもなのに、なぜ手遅れなのですか」と。
ナポレオンは答えました。
「立派な子どもに育てるには、その前に親が立派でなければならないからです」
この逸話がナポレオンの実話かどうか、確証はありません。
しかし史実かどうかは問題ではありません。ここには、ひとつの真実があります。
その「手遅れ」は、あなたのせいではない
それでも何かが違う。
期待していた響きに、届かない。
録音すると薄い音になる。
重音が濁る。
弾けているのに、何かが足りない。
けれども、もう少し上手になりたい。
その「もう少し」が、いつまでも「もう少し」のままである。
しかしその「弾き熟す」ことが、上達だと思い込んではいないでしょうか。
そうした時、多くの方はこう考えます。
練習が足りないのだ。
才能がないのかもしれない。
もっと努力しなければ、と。
しかし、その判断は正しいでしょうか。
ナポレオンの逸話をもう一度思い出してください。
手遅れだったのは、子どもではありませんでした。
子どもに先立つ、親の在り方の問題でした。
どこかに「何かが違う」という感覚が残り続けている。
それは、あなたのせいではありません。
これまであなたを導いてきた指導者の耳の問題かもしれないのです。
耳は、耳からしか育たない
ヴァイオリンには、楽器の個体差を超えて全体が共鳴し、倍音が豊かに鳴りきる
この『一点』において楽器が鳴りきったときに現れる響きこそが、
その『一点』を外したまま弾き続けることは、楽器との軋轢を生み続けることです。
左手は響きの悪い音程に固まり、右手は鳴らない音を鳴らそうとして力みが宿る。
音が出ていても、それは混濁した響きに過ぎません。
その『一点』は、チューナーでは捉えられません。チューナーが測れるのは、
単音の高低という一次元の数値だけです。ピアノの鍵盤も、録音された音源も、
『一点』を知ることができるのは、その場で鳴っているヴァイオリンの生の響きを
そしてその耳は、『一点』を知る指導者のもとで、一音いちおんと向き合い続ける
当教室には指導者(ヴァイオリンの先生)の方々も習いに来ていますが、
そのお一人が、ご自身の生徒さんを指導する中で、次のようなことに気づいたと
話してくれました。
「チューナーで音程を取り続けた生徒の音には、チューナーのような音がする」
「ピアノで音程を取り続けた生徒の音には、ピアノのような音がする」
ヴァイオリン以外のものを基準にした結果、
耳は、耳からしか育ちません。
指導者の耳が『一点』を知らなければ、生徒の耳は育ちようがないのです。
これは才能の問題でも、練習量の問題でもありません。
何が誤りなのか
では、その誤りとは何か。
しかし、「広く行われていること」と「正しいこと」は同義ではありません。
チューナーが測れるのは、単音の高低という一次元の数値だけです。
ヴァイオリンが個体差を超えて全体で鳴りきる『一点』は、どれほど精密な
チューナーでも捉えられません。
録音された音源もまた、収録技術の限界ゆえに『一点』の響きを伝えません。
チューナーを基準にした練習を重ねるほど、『一点』を耳で求める機会そのものが
失われていきます。
エチュードを全曲順番に弾き通させることは、学習者が今まさに必要としている
課題を見極めることなく、必要な薬も不要な薬も区別なく飲み続けさせることと
同じです。
全曲を弾き通すことで集中力は散漫になり、一音いちおんに対する峻厳さが
失われていきます。
まず弾き通してから音程を直すという方法もまた、順序が逆です。
誤った音程は繰り返すほど脳と身体に刻み込まれ、
刻み込まれるほど修正は困難になります。
こうした指導の中で、弾き熟す(こなす)ことを上達と勘違いさせてしまう。
しかし『一点』を知らないまま弾き熟すことは「演奏」ではありません。
最初の一音から『一点』としての正しい響きを求め続けることこそが、
なぜ、誤りは続くのか
ではなぜ、こうした誤りは続くのか。
『一点』を教えられない指導者自身が、そのような指導を受けてきたからです。
『一点』を知らないまま指導者になった者には、違和感を覚えるべき
基準そのものがありません。
違和感がないのは問題がないからではなく、問題を問題として認識するための
基準そのものが、ないからです。
『一点』を峻厳に見極める指導には、指導する側の圧倒的な耳の能力と、
学習者が急増し、指導の効率化が求められる時代の中で、
この指導は失われていきました。
音楽大学においてさえ、今やこの奏法は教えられなくなってしまいました。
音楽大学を出ていても、プロとして活動していても、
『一点』を知らないまま指導者になってしまっている者が少なくありません。
その連鎖が、世代を超えて続いています。
「軌跡」――耳から耳へ
しかしその連鎖の中でも、受け継がれてきた「軌跡」は存在します。
ハイフェッツ、ミルシテインらを育成したレオポルト・アウアー。その高弟
ニコライ・シフェルブラットに師事したのが鷲見四郎先生。その指導を傍らで
見続け、歴史的名教師となったのが鷲見三郎先生。
私はその両先生に師事し、特に四郎先生のもとでは13年にわたって研鑽を
積みました。
四郎先生から私が受けたレッスンでは、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲
冒頭の「シ」の音に存在する5種類の『一点』の弾き分けだけで、数時間に及ぶ
ことがありました。
一音の中にそれだけの世界があり、その世界を聴き分ける耳なしには、
「○○に師事」という一行は、プロフィールに容易に記載できます。
しかし「名前を受け取ること」と「音を受け取ること」は、別のことです。
『一点』は、文字にも、録音にも、動画にも残せません。
耳から耳への継承にしか受け継がれない。それが「軌跡」の実体です。
指導者が通い続ける理由
当教室には、趣味で学ばれる方から、音大受験を目指す方、音大生、
コンクールを目指す方、プロ奏者、指導者(ヴァイオリンの先生)の
方々まで通われています。
(詳しくは『初心者から音大生・演奏者まで』のページをご覧ください)
指導者は通常、他の教室に習いに行くことはありません。
「何かが違う」という違和感を、長年抱えながら指導を続けてきた。
その違和感の正体を、ここではじめて明確に認識できたからです。
『一点』はあらゆる音符に存在し、同じ音符に対しても複数存在します。
その選択と見極めを学ぶほどに、ヴァイオリンのあらゆる技術との関連が
見えてくる。
ここで増えるのは知識ではありません。
響きそのものへの確信が、一音いちおんを通じて深まり続けるのです。
『一点』を知っている、では足りません。
あらゆる音形において『一点』を峻厳に見極め、的確に選び続ける。
指導者の耳が変わるとき、その教室に集うすべての生徒さんの演奏もまた、
変わり始めます。
指導者こそが『一点』を学ぶことで、あなたの教室に集うすべての生徒さんの耳が、
あなたとともに同時に育ち始めるのです。
手遅れではない
ナポレオンの逸話に戻ります。
手遅れだったのは、子どもではありませんでした。
しかし子どもは、その後どうなったでしょうか。
ヴァイオリンの話は、ここで終わりません。
子どもは、親を選べません。
しかしあなたは、これから出会う耳を選ぶことができます。
長年の練習が積み重なっているあなただからこそ、『一点』に出会ったとき、
その響きの変化は劇的なものになります。
身体はすでに動き方を知っています。
あとは、正しい耳の基準が与えられるだけでいい。
才能の問題ではありませんでした。
練習量の問題でもありませんでした。
あなたの努力が音にならなかった本当の理由は、『一点』という基準を、
気づいた今が、始まりです。その答えが、ここにあります。
決断は、今です。
東京都狛江市にある美しい音色・正しい音程・伝統の奏法重視の
「イワモト ヴァイオリン教室」
住所(狛江教室):〒201-0003 東京都狛江市和泉本町2-31-4メイプルビル301
営業時間 :10:30~23:30(日・月・水・木・土)
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カテゴリ: 究極のヴァイオリン奏法
